掲示板の言葉「死は人生の敗北ではない」

先日の盆法座のご講師、藤本唯信先生の言葉から頂きました。
人が亡くなった時「不幸があった」という言葉を耳にし、モヤッとすることがあります。
死=不幸や、死んだら終わりというのは一つの考え方なのかもしれませんが、それでは人生は死までのカウントダウン、先がありません。
人は生まれたからには必ず死にます。
それは皆が知っているはずのことなのに、考えたくないと目を背ける。
結果「死ぬこと」「老いること」が「不幸」や「敗北」だといった「極論」に陥ってしまうこともあるのかと。
仏さまは命を長い短いで判断しません。命のありのままを見る方だと言われます。
若さばかりに目を向け自慢する人は、老いる人、死に向かう人の気持ちが分かりません。
地位や財産ばかりを当てにする人は、一般の人の気持ちが分かりません
極端な考え方は他者との繋がりを失う要因にもなるように思います。
私も子供がいますが、そのような姿は極力見せたくないなぁと。子供にもそうなってほしくないなぁと思います。
「老」「病」「死」を自分の必ず通る道と目を向けるからこそ、同じ立場の人の気持ちを慮ることが出来る。
人生における「生老病死」の価値を転換させる。そのような働きが仏さまの教えにはあるのだと思います。
そして人生の終わりを迎えた後も、お浄土にて悟りの命を頂き、遺された者に大切なことに目を向けよと働きかける身とならせていただく。
今ある人生も、命終えた後も、次の世代のためへと繋がれていく。命の価値を見失わない。命を無駄にしない。それがお念仏の教えなのかと。このたびのご法話から聞かせていただきました。
南無阿弥陀仏。
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