語り部
きくおうさん

前話のまとめ
○前回のテーマ
「行ってなんだゾウ?(前編)」

・「行」は仏に至るための道筋。様々な形で説かれる。

・初期から説かれる最も基本的な「行」の形は、「四諦八正道」。

⇒もう少し詳しく←今回はここじゃゾウ。


第十話 「行ってなんだゾウ?(後編)」
注目ワード戒・定・慧」「」「大乗仏教

住職さん

 前回の続きだよ。
 「八正道(はっしょうどう)」という、基本的な行の考え方をお話ししたけど覚えてる?

きくぞう君

ええっと?たしか、、、

①正見(しょうけん)
正しい見方
②正思惟(しょうしゆい)

正しい思惟
③正語(しょうご)

正しいことば
④正業(しょうごう)

正しい行為
⑤正命(しょうみょう)

正しい生活
⑥正精進(しょうしょうじん)

正しい努力
⑦正念(しょうねん)

正しい思念
⑧正定(しょうじょう)

正しい禅定

の八つだゾウ!

 正解!
 実は、その八つを省略、かつ具体的にした「行」の形式があってね。
 「戒・定・慧(かい・じょう・え)」「三学」といって、次の三種の段階的な修学を言うんだ。

三学
⑴「戒」
戒を守って悪を止め善を修めること。
「八正道」の③正語④正業⑤正命に相当。
 
⑵「定」
禅定を修め、心の乱れを防ぐこと。
「八正道」の⑦正念⑧正定に相当。
 
⑶「慧」
ものごとを正しくとらえ、真理を見極めること。
「八正道」の①正見②正思惟に相当。
※「八正道」の⑥正精進は、⑴「戒」⑵「定」⑶「慧」の全てに相当。

まず⑴の「戒」
 「いましめ」という字だけどね。原語を「シーラ」といって「善い習慣性」といった意味合いなんだ。つまり、通常、自堕落に流れやすい生活を自ら戒(いまし)め、引き締めること。悪から離れ、善を修めやすくするように、暮らしの上に良い習慣づけをしましょう、ということだね。

 仏教は自らの「心」を問題視する宗教だから、「心」を整える必要があるんだけど、そのためには、まず自らの生活を戒め、環境を整える必要があると、こう考えるんだね。

 なるほど。確かに「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ってことばもあるもんね!

 そういえば、「戒」って「戒律」の「戒」と同じ字だよね?関係あるのかな??
 あと「戒名」もそうだよね??

 うん、いい質問だね。
 本来「戒律」、つまり「戒」「律」は別のものでね。さっきも言った様に「戒」は修行を実践するための自発的な「いましめ」。対して「律」は、僧侶教団(サンガ)の秩序維持のための、種々の規律事項や罰則規定を言うんだ。
 その2つが合わさった言い方が「戒律」だね。ただ出家して僧団に入ると、「戒」にしろ「律」にしろ、共に罰則規定があるし、規律的な性格を持つ「戒」もあるから、その差異は曖昧かもしれないね。
 
 それで「戒名」だけど、本来は厳格なこの「戒律」を守り仏道修行する人に付けられる名前のことなんだ。死んだ人に付けられる名前じゃないよ。
 ちなみに浄土真宗では「法名」と言うんだけど、興味があったら「お寺Q&A」のコーナーの、Q4.「戒名ではなく法名?居士・大姉等は付けないのですか?」を見てね。

 なるほど。。。「戒名」を付けるって、ほんとはすごい大変なことなんだね。
 ちなみにどんな「戒」があるの??

 例えば、殺生(生き物を殺すこと)や物を盗むこと、嘘や悪口を言うことは、堅く禁じられているね。
 あとは淫戒。一切の性行を禁止する「戒」だね。この「戒」のため、当時のお坊さんは妻帯出来ず、子供も生まれなかったんだ。
 これらは、その種類や度合いによって罰則事項は変わるんだけど、最も重い場合は、僧団から追放されていたみたいなんだ。

 生き物を殺さないって大変だゾウ!!
 蚊みたいな虫はバチンッて殺してる(~_~;)
 それに嘘もつくことだってあるし。。。

そうだよね。
 他にも、基本的に所持が許されるものは三衣一鉢(さんねいっぱつ)、つまり下衣・上衣・大衣の三種の衣類と托鉢(たくはつ)用の鉢(はち)だけだったり、お昼を過ぎたら次の日の日の出まで固形物を食べてはいけないだったり、お酒は飲んではダメだったりで、そういった種々の「戒」が、男性なら約250、女性なら約350ほど、説かれているんだ。

 ぞぞぞう!!!
 すごい数だゾウ!?

 うん、出家するのは大変な決意が必要だったろうね。文字通り、それまでの家の生活の全てを捨てるほどの。
 それでその「戒」よって自らの暮らしが整い、身体の準備が出来たら、次の段階に進むんだ。
 
 ⑵の「定」は、まさしく心の修行。原語を「サマーディ」。「(心を)集め置く」「定める」といった意味合いかな。
 人の心は、外界の刺激によって引っ張られ、あっちこっちへ動き回る。色んなことを思い、執着する。もって生まれた人の性質だね。だから、身体を安定した姿勢に保ち、呼吸を整えて、その乱れやすい心を落ち着け、一点に集中し、静止の状態に置く。それが「定」と言われるんだ。
 日本人に馴染み深い「座禅」も、この「定」の一つの形態なんだよ。

「こころは捉えがたく、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。そのこころをおさめることは善いことである。こころをおさめたならば、安楽をもたらす。」
『ダンマパダ』より

むむむ。
 確かに、色んなものに目移りして落ち着かないって、よく注意されるゾウ。。。
 そういう性質が大なり小なり、みんなにあるから、それを止めるのが「定」なんだね。

 そうだね。
 そして、最後に⑶の「慧」。原語は「プラジュニャー」。以前お話したけど、『般若心経』の「般若」も、この言葉が由来なんだよ(第六話参照)。

 ⑴の「戒」により身体による生活が整い、⑵の「定」により乱れやすい心を定め静める。
 この⑴⑵の段階を踏まえて、法のことわりを洞察する時、ものごとをありのままに見る、澄み切った「慧」が生まれる。
 この⑴「戒」「定」「慧」の段階的な実践が、基本的な仏教の「行」の形とされるんだ。

 は~、住職さんはすごいゾウ。。
 こんな大変なことをして、「仏」に成ることを目指しているんだね。
 ボクには絶対真似できないゾウ。。。

 ふふふ。実は私も戒律は守っていないし、禅定の様な修行もしていないよ。
 自慢することでは全くないけどね(^^ゞ

 ぞぞぞう!?!
 どういうことだゾウ!!

 日本に伝えられている仏教のほとんどは、「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」と言うんだけどね。「大乗」とは、多くの人を仏へと導く大きな乗り物という意味。
 お釈迦さまは、その生涯で出家者のみでなく、在家者、つまり家に在り日常生活を営む人達にも、教えを説かれたんだ。全ての人を救いたいというその精神を礎に、お釈迦さまの入滅後、興起した運動や思想を「大乗」と言ってね。その教えを今私達は受け取っているんだ。

 ボクでも仏さまに成れる道が説かれているってこと??

そうだよ。
 その中でも特に浄土真宗は、「在家の生活を送るものが仏に成る道」に焦点を当てていてね。
 「戒」「行」を出来ない。仮にする環境があっても「苦」の元である「煩悩」から離れる事が出来ない。そういった「私」を対象とした教えなんだ。

 だから私も、お寺の管理責任者として住職という肩書を一応頂いてはいるんだけど、生活の上では在家の方となんら変わらない。浄土真宗の教えを受取る者として、ご門徒の方と全く同じ立場なんだよ。

住職さんもボクたちと同じなんだね!

 そうそう。
 衣を着ていると、皆さん色々と立ててくれて、本当に申し訳なくなるんだけど、煩悩だって沢山あるし、僧侶としては、えらくもなんともないんだよ(笑)

 でも、「戒」も守れない、「定」も出来ない、そんなボクたちが「仏」に成れるってどういうことなんだゾウ???

 不思議に思うよね。
 その事をお話しするには、お釈迦さまの入滅後、仏教がどういう変遷を辿って、インドから中国、そして日本へと伝わってきたのか。仏教が日本に伝わった後、どのような経緯を辿り浄土真宗が生まれたのか、知っておいた方がいいと思うんだ。
 次回からは、このことについて、一緒にお話ししてみよう。

第九話「行ってなんだゾウ?(前編)」に戻る
→第十一話「仏教の歴史を知りたいゾウ!(インド編)(仮)」に進む・・・予定

<よければこちらも!補足コーナー>
 日本に伝わってきた仏教には、「座禅」や「念仏」、「唱題(南無妙法蓮華経と唱える)」など、様々な「行」がありますが、その全ては「私」が「仏」に成るための道筋となります。「仏」という山の頂上に至るための道程が、様々な形で表われているのだと、よく例えられています。
 浄土真宗は、自らの力では「戒」「定」などの行を成し得ない「私」が、阿弥陀さまという「仏さま」の「他力」によって「仏」に成る。そういう道だと言われます。
 今までに聞いた内容と全然ちがうじゃないかと思われるかもしれません。私も最初に聞いた時は、混乱しました(笑)。
 次回からは、少し方向性を変えて、時代毎の仏教の変遷にスポットを当てたいと思います。ようやく、浄土真宗の話が出てきたのにと思われる方もいるかもしれません。本当はもう少し、浄土真宗の教えと纏めた形でお話し出来たらよいのですが、性分で、段階を踏んでお話しする悪癖があります(~_~;)
 申し訳ありませんが、浄土真宗という教えの背景を知る上でも、大切なことかとも思いますので、おつきあいいただければ幸いです(^^ゞ

なんまんだぶ。

※本話中の経典の訳語に関しては、前田専學『ブッダを語る』【日本放送出版協会】のものを引用しています。