語り部
きくおうさん

前話のまとめ
○前回のテーマ
「行ってなんだゾウ?(後編)」

・「戒」→「定」→「慧」といった「仏」になるための基本的な修行の形。

・日本の大乗仏教は、それらが出来ない私が「仏」に成る道。
 なぜちがう??

⇒どういった経緯を経てそのような教えが私たちに届いたのか?←今回から歴史編じゃゾウ。


第十一話 「お釈迦さまの生涯を知りたいゾウ!(成道編)」
注目ワードインド仏教」「八相成道」「天上天下唯我独尊」「四門出遊」「苦行」「降魔成道

住職さん

今回から歴史編。
仏教がどういう経緯を辿って日本へと届いたのか、一緒に考えてみよう。

きくぞう君

どんとこいっ!だゾウ!!

うん。
差しあたってはまず、仏教の開祖であるお釈迦さまの生涯についてだね。

諸説あるんだけど、お釈迦さまは紀元前463年、今から約2500年ほど前の北インドで生まれたとされていてね。

元々は釈迦族という部族の王子さまだったんだ。

ぞう!
お釈迦さまは王子さまだったの???

うん。お父さんは国王のスットーダナ、お母さんは王妃のマーヤーという方でね。
当時の城郭都市カピラヴァットゥ。ここがお釈迦さまの故郷だね。
その近くのルンビニーという園林で生まれたんだ。
現在のネパールとインドの国境あたりだったと考えられているよ。

名前はゴータマ・シッダッタ
ゴータマは「最上の牛」、シッダッタは「目的を成就した者」という意味だよ。

ぞぞう!!
「お釈迦さま」は「お釈迦さま」って名前じゃないの!?

うんうん、そう思うよね。
元々の名前は今言ったように「ゴータマ・シッダッタ」と伝えられているんだけど、実はお釈迦さまには、色々な尊称があってね。

まず、釈迦族という部族の出身だから「お釈迦さま」、他にも「釈迦族の聖者であり、世間で尊ばれる方」という意味で「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」、或いはそれを略して「釈尊(しゃくそん)」とも呼ばれているよ。
また「(仏法の真理に)目覚めた者」という意味で「仏陀(ブッダ)」とも呼ばれるし、その他にも様々な尊称があるんだよ。

ぞぞぞう!!!
そんなにたくさん!
なんでそんなに色々な名前で呼ばれているんだろう?

うーん、どうなんだろう(^_^)
ただ、お釈迦さまは様々な面で敬われ尊ばれた方だし、その気持ちが色々な尊称としてあらわれているのかもしれないね。

さて、お釈迦さまの生涯なんだけど、伝統的に次の八つの出来事を踏まえて説かれるんだ。
「八相成道(はっそうじょうどう)」と言うんだけどね。

八相成道
降兜率(ごうとそつ)
お釈迦さまが兜率天から白象に乗って降りてくる
入胎(にったい)
実母のマーヤー夫人の右脇から入って母胎に宿る
出胎(しゅったい)
マーヤー夫人の右脇から生まれ出る
※日本ではこの日を4月8日とし、花祭り等が行われる
出家(しゅっけ)
29歳の時、無常を観じ、修行のため都城を出る
降魔(ごうま)
6年の苦行の後、悟りの獲得の邪魔をしようとする悪魔(煩悩の象徴)を退ける
成道(じょうどう)
35歳の時、ブッダガヤの菩提樹下で悟りを開き、ブッダ(目覚めた者)となる
転法輪(てんぽうりん)
サールナート(鹿野園)での初説法(初転法輪)から45年の間、説法の旅に出る
入滅(にゅうめつ)
クシナーラー(クシナガラ)のサーラ樹(沙羅双樹)にて、最後の説法の後、入滅(煩悩と肉体の滅)される
※日本ではこの日を2月15日とし、涅槃会等が行われる

え!白い象に乗ってお釈迦さまはきたの!?

うん、不思議なお話しだよね。
「八相成道」の伝説的な物語は、後世に創作された部分もあると考えられることが多いのだけど、実際のお釈迦さまの物語として敬ってもいいし、個人個人の受け止め方でいいんじゃないかな。

まあどちらにしても、お釈迦さまの生涯は、様々な点から私たちに仏さまの教えを伝えてくれるものな気がするんだ。

どういうことだゾウ???

例えば今きくぞう君が言った①の降兜率(ごうとそつ)

兜率天というのは、次の生で仏に成ることが決まった者が滞在する場所と言われていてね。
お釈迦さまは何度も生まれ変わりを繰り返し、そういった過去世の修行の結果、ようやく兜率天に生まれ、最後に紀元前5世紀のインドに降り立ち「仏」に成ったのだと。こういった思想が背景としてあるわけなんだ。

長大なインドの死生観。また仏に成るということが、どれだけ困難な事と考えられていたのか、伝わってくる気がするんだ。

確かに。。すごい世界観だゾウ!

他にも、お釈迦さまは生まれた後、すぐに七歩歩いて天と地を指さし「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったという伝説があるんだけどね。

あ、それならボクも知ってるゾウ!
こんなポーズだよね!

そうそう。有名なエピソードだよね。
諸説あるけど、七歩歩くことによって、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)の苦しみの生存を超えるということを、表現しているのではないかと考えられているんだ。

なるほど!
前に言ってた(※第二話参照)、六つの苦しみの世界の輪廻を超える「解脱(げだつ)」という仏教の目的を表しているんだね。

うん。そう考えると、この不思議なお話も見え方が変わってくるよね。

そうしてお釈迦さまは無事生まれるんだけど、なんと実母のマーヤー夫人はその七日後に亡くなられてしまわれてね。
その妹のマハー・パジャーパティーが父王の後妻となり、お釈迦さまの義母となるんだ。

そういった悲しい出来事はあったんだけど、お釈迦さまは王族として様々な才能に恵まれ成長し、衣食住においても何不自由のない生活を送ったとあるんだ。

お母さんはそんなに早く亡くなったんだね。。。

でも、お釈迦さまは王子さまとして恵まれた生活を送ったんだよね?
なんで家を出て、修行者になったの??

うん、ある転機があったとされていてね。
「四門出遊(しもんしゅつゆう)」という逸話があるんだ。

「しもんしゅつゆう」??

うん。お釈迦さまはある時、お城の周り四方向にある門から外出してね。
東門から出た時には「老人」を、別の機会に南門から出た時には「病人」を、また別の機会に西門から出た時には「死人」を見たらしいんだ。

お城で何不自由ない暮らしをしていたお釈迦さまには、衝撃的な光景だったんだろうね。
「私」も必ず、老い、病気となり、そして死ぬ。この事実を自覚し大変苦悩されるんだ。

でも最後の北門から出た時に、穏やかな佇まいの出家者を目にしてね。
苦しみの世界の中で安らかに生きる出家者に憧れ、自らの進むべき道はこれだと決意したといわれるんだ。

四門出遊
①東門 老人を見る 
 →私も必ず老いるという自覚
 →ショック
②南門 病人を見る
 →私も必ず病むという自覚
 →ショック
③西門 死人を見る 
 →私も必ず死ぬという自覚
 →大ショック
 →打ちのめされるお釈迦さま
④北門 出家修行者を見る
 →「苦」を克服するためにはこれだ!

「老病死」って、たしか人間が持つ代表的な苦しみだよね

うん、前にお話しした「四苦八苦」の苦しみの中心的なものだね(※第二話参照)。
このエピソードでは、苦しみの自覚とその克服という仏教の根本的な命題・目的が語られているわけなんだ。

そうした経緯もあり、お釈迦さまは29歳の時、妻ヤソーダラーと子ラーフラも置いて、何もかも捨て一人出家したと伝えられるんだ。

奥さんも子供もいたんだね。

うん、お釈迦さま自身も大変苦しい決断だったろうね。。。
でもそれが当時、本来の意味での「出家」だったんだ。

そうして修行の旅に出たお釈迦さまは、師を求め当時の大国マガダ国に行ってね。
瞑想の師としてアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタという二人の仙人を訪ねるんだ。

瞑想を教えてもらったんだね。
それで、苦しみは解決したの??

それがね。
短期間でその仙人たちと同じ境地には到達したらしいのだけど、お釈迦さまの求める「苦」の解決にはならなかったみたいなんだ。

それは残念だゾウ。。。
その後はどうしたの??

瞑想の師である2人のもとを去った後、お釈迦さまはネーランジャラー河(ガンジス川の支流)のほとりに行き、苦行の道に入ったんだ。

当時の修行法の主流であったとみられる瞑想と苦行を、お釈迦さまは体験されたわけだね。

「苦行」ってどんなことをするの??

正確なところはわからないのだけど、食事を断つ「断食行」や、呼吸を止める「止息行」などを行じたと伝えられているよ。

断食の結果、骨と皮だけの姿となり、呼吸を止める行では、その苦痛により気を失うほど壮絶なものであったらしいんだ。
肉体を極限まで苛むことによって、至高の精神を得ようとする修行みたいだね。

その苦行を、お釈迦さまは6年間、35歳になるまで続けたんだ。

釈迦苦行像(ラホール博物館)

うわ~、ガリガリだゾウ!!
そんな修行を6年間も。。。

そ、それで苦しみは解決したの??

それが解決しなくてね。
結局お釈迦さまは、苦行は身体をいたずらに傷つけるだけで、悟りに至る道ではないとやめられたんだ。

え、6年間も頑張ったのにやめちゃったの!!!
もったいない気がするゾウ。。。

うん、実際に当時一緒に修行していた5人の仲間もガッカリして、お釈迦さまのもとから去ったらしいね。

ただ、この苦行もお釈迦さまの悟りには必要な道程であったとされるんだ。
出家前の王族であった時に受けた極端な快楽、出家後の苦行生活によって受けた極端な苦しみ。
そういった経験があったからこそ、苦楽の両極端を離れた、何ものにも執われない「中道」という姿勢が見出されたんじゃないかな(※第九話等参照)。

お釈迦さまの苦行も無駄じゃなかったんだね!

うん、そうだね。

仏伝によると、お釈迦さまは苦行を離れた後、沐浴をして身を清め、スジャーターという娘に乳がゆを施されてね。
心身ともに回復し、その後アサッタハ樹という木の下で瞑想に入ったんだ。
この木は、その下でお釈迦さまが悟りを開いたということから菩提樹(菩提=悟りの意)とも通称されるんだけどね。

この時、お釈迦さまは35歳。
ついに真理に目覚める時がきたんだ。

とうとうブッダ(目覚めた者)に成るんだね!!
瞑想は何も問題なく上手くいったの??

それがね。
お釈迦さまが瞑想に入ると、様子を伺っていた悪魔が瞑想の邪魔をしにきたというんだ。

「八相成道」でいうところの「降魔(ごうま)」の出来事だね。

え、、、悪魔が!!
だ、大丈夫だったの??

うん。お釈迦さまはそれら悪魔の誘惑を全て退けられるんだ。

ただこの悪魔は実体あるものでなく煩悩の象徴だと考えられていてね。
そういったあらゆる煩悩、執着を瞑想により退けた結果、お釈迦さまは悟った者となったんだ。

これが「八相成道」「成道」の出来事だね。

苦しみのもとである煩悩を断ち切ったんだね!
やったゾウ!!

うん、お釈迦さまも嬉しかったんだろうね。しばらくは、悟りの楽しみを独り味わったらしいんだ。

お釈迦さまが悟った内容に関しては色んな意見があって、「縁起」「四諦」或いは「四法印」等が挙げられるんだけどね(第四話第九話等参照)。

ただ、お釈迦さまは当初、この悟りの内容を人に説くことを躊躇したと伝えられるんだ。

え、何でだゾウ???

うん、後半に続くよ。

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<よければこちらも!補足コーナー>
 神々の存在や神秘的な体験が仏典に説かれていると、興味を失う方や敬遠される方もいるのでは?
 確かに現代の価値観から見れば、どこか荒唐無稽に見える内容もあります。気持ちは分かる気もするのですが、仏教が本質的に伝えたいところはそこではないかと思います。
 私たちが本やテレビで知識や常識を得る様に、当時の人たちは神々の物語を通じてそれらを得ていました。神々の存在は生活や価値観に根付くものであり、何か表現したいことがあれば、神々の存在を示すということは、当たり前に行われていたことかと思います。お釈迦さまの生涯に関しても、神々や神秘的な体験を示すことにより、より分かりやすく伝わる様に、また崇敬の気持ちを示せる様に、表現されたことかと思います。しかし、そこにのみ注目すると弊害もあるのかなと感じます。
 お釈迦さまの偉大性は、何か超常的なこと、奇跡的な御業を見せたことにあるのではなく、「法」ということわりに目覚め、その教えを皆に説かれたことにあると思います。
 伝説的なものの表面だけを見て、仏教を自分とは関係ないものと捉えるのは、もったいないことかなと思うので、ここで少し補足してみました。