語り部
きくおうさん

前話のまとめ
○前回のテーマ
「空ってなんだゾウ?(前編)」

・「空(くう)」は「縁起」「無常」「無我」の「法」をより明瞭にしたもの。
「全てのものは因縁によって仮に和合して存在しているのだから、不変の実体、本体の様なものは、なにものにも存在しない。」

・2世紀~3世紀頃のインドの高僧 ナーガルジュナ(漢名:龍樹)により大成、確立。

・物質的なものだけではなく、ものごとに抱く考えや価値観や判断も「空」であり、執着すべきものではない。

⇒「空」の思想をもう少し詳しく←今回はここじゃゾウ。


第七話 「空ってなんだゾウ?(後編)」
注目ワード空即是色」「仮和合」「有無の二見を破す」「中観

きくぞう君

 仏教は、僕たちの世界にあるものは「空(くう)」で、不変の実体がないって説くんだよね。

住職さん

そうだね。

 なんだか「空」って聞くとからっぽで、何もないって言われてるみたいで、すこし悲しくなるんだ。
 ぼくやぼくが大事にしてるものも本当は無いってこと??

なるほど。
 確かに「空」と聞くと、少しうつろな、もの悲しいイメージを感じる人もいるかもしれないね。
 実際、そのことで仏教をニヒリズム(虚無主義)と主張する人もいるし。
 よし、一緒に考えてみよう。

何で「空」って言葉をつかったんだろう??

 「空」は確かに中々強い表現だよね。様々なものに変わらない実体を求める人の性(さが)から離れなさいというのが、仏教の立場だから、あえて否定的な強い言葉が使われているのかもしれないね。
 実際、「空」を主張した龍樹菩薩(2~3世紀頃)在世時、不変の実体の存在を主張する議論は、仏教内部においても盛んだったみたいだし。
 ただこの言葉の表面だけを見て、仏教を虚無主義と判断するのは早計かなと思うんだ。
 きくぞう君、前回「色即是空(しきそくぜくう)」について話したこと覚えてる??

もちろんだゾウ!!『般若心経(はんにゃしんぎょう)』のことばだね。
「すがた・かたちのある物は、無常・無我であって、本質的には実体は無い」ってことだよね?

そうだね。
 それじゃ、その後に何てお経が続くか分かる?

 ええっと、確か「くーそく ぜーしき ♫」だゾウ。

 うん「空即是色(くうそくぜしき)」
 「空すなわち、これ色なり」だね。

 それなんだけど、「色(いろ形ある物)」が「空」なのはわかるんだ。でも「空」が「色(いろ形ある物)」ってどういうことだゾウ?? 

 うん、実はこの2つはセットの教えでね。「色即是空」だけでなく「空即是色」も合わせて考えないと、思想の全体像が見えないんだ。
 まず「色即是空」なんだけど、これは不変の実体の存在が「有る」と執着することへの否定。言うなれば「有」の否定だよね?

 ええっと、この世界は様々な因縁のもと変化していくのだから、変わらないもの、絶対的なものが「有る」という執着から離れなさいってことだよね。

 そうだね。
 逆に「空即是色」はね 、存在が「無い」ということへの否定。つまり「無」の否定を表わすことばなんだ。

どういうことだゾウ??

 「空」「仮和合(けわごう)」という言葉で説明されることがあってね。
 確かに、この世に「独立した不変の実体」は無いと仏教は説くんだけど、では存在が「無い」のかというとそうではなく「様々な因縁がより集まり仮に和合して、変化しながらも存在している」と、こう捉えるんだ。
 つまり「空即是色」は「空(実体が無い、つまり諸因縁が仮に和合した状態)という状態で、色(いろ形)として現れている」という意味だね。

 そうか。この世界にあるものや、今のボクは、色んなご縁が積み重なって「有る」んだもんね。

 「有る」と考えすぎてもダメだし「無い」と考えすぎてもダメなんだね。

 うん、龍樹菩薩も「有無の二見を破す(有の見解と無の見解どちらからも離れよ)」と仰っているね。
 だから「空」はね、虚無的なものではなく、だからといって不変の存在を求める言葉でもない。事象を事象のまま真正面から捉える、そういった姿勢を説いた言葉だと思うんだ。以前話した、存在のありのままを知り見る、「如実知見」(第五話参照)の境地だね。

なるほど、少し整理してみるゾウ!

 まず僕たちの世界には「法」という「ことわり」があって、全てのものは様々な因縁のもと移り変わるのだから、固定的な不変の実体は無いんだ。つまり「空」だね。だから「我」や「我が物」というのも本当は無いし、「苦・楽」や「善・悪」「美・醜」という固定的な見方も存在しない。そういったものに執着すると「苦しみ」が生まれるから離れなさいってことだね。
 
 一方で、確かに不変の固定的な実体は無いんだけど、この世界にあるものは、色んな縁が重なり合って存在している。つまり「空(仮和合)」という状態で、存在しているんだ。
 だから「有る」という見方からも「無い」という見方からも離れる必要があるってことだね。

うん、そうだね。
 そういった「苦・楽」や「善・悪」、また「有・無」などの、偏った固定的な見解、両辺を離れる見方を、龍樹菩薩は「中観(ちゅうがん)」と呼ぶんだ。

 両辺を離れるっていうのは、中心を取りなさいってことかな??
端がだめなら真ん中みたいな??

 それだと、今度は中心を取ることに執着してしまうかな(笑)
 そうではなく「一方に偏らない心を保つこと」。「偏ってはだめですよ、それは苦しみの元ですから」というのが仏教の立場だね。

 

 なるほど。それが仏さまのものごとの見方なんだね!

 そうだね。

 さて、これまでは、自分の都合という色眼鏡を外して、ものごとのありのままを見る、仏さまの「智慧」を中心にお話ししてきたわけだけどね。
 仏教の目指すところはこの「智慧」の獲得と、そしてもう一つ「慈悲」の実践であると言われているんだ。
 次回はこの「慈悲」について。一緒に考えよう。

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<よければこちらも!補足コーナー>
 様々なご縁により、私と私を取り巻く世界は成り立っています。そして様々な経験により、現在の価値観が形成されています。それは厳然たる事実であり、仏教はそれ自体を否定するものでありません。現状の自分の有り様を認めながらも、それを絶対的なものと捉えない物事の見方。「空」はその姿勢を教えてくれるように思います。

なんまんだぶ。