きくひと君

もうすぐ「報恩講(ほうおんこう)」か~。
ずっと昔からお参りしてもらっているけど、「報恩講」って何なんだろう???

そうだ!今回も住職さんに聞いてみるゾウ!

善は急げだゾウ

住職さ~ん。「報恩講」について教えて~。

住職さん

うんうん、いいよ。
大切なご法座だよね。
よし、今回も一緒に考えてみよう。

お願いします!

さっそくだけど、そもそも「報恩講」って何なんだゾウ??
お彼岸やお盆は色んなところで聞くんだけど。。。

「報恩講」は浄土真宗特有の行事だから、他で耳にする機会は少ないかもね。

「報恩講」はシンプルに言うとね。浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人(しんらんしょうにん)のご法事なんだ。

親鸞聖人のご法事???

うん、親鸞聖人のご命日は、新暦でいうところの1月16日とされるんだけど、報恩講はその日をご縁としたご法座でね。

その中で、京都にある本山の西本願寺で1月9日から16日までの7日間お勤めされるものを、特に「御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)」というんだ。

あれ?
でも、以前うちでお参りしてもらった時は、もっと早い時期だった気がするゾウ??

うん、ご門徒さんの家に戸別でお参りする場合は、その期間に行くのは難しいからね。
その場合、日にちを先取りして、取り越してお勤めさせてもらうから、「お取越(おとりこし)」報恩講と呼ばれているんだ。

なるほどだゾウ。
ご命日を縁としているけど、必ずしもその日にお勤めするわけじゃないんだね。

どういうご法座なの???

「報恩講」は浄土真宗にとって最も大きなご法座の一つでね。
親鸞聖人のご遺徳を偲び、報恩感謝の思いでお勤めするご法座なんだ。

「報恩」って恩返しすることだよね?
何をすることが恩返しになるの??

いい質問だね。
本願寺の八代目ご門主の蓮如上人は、そのことについて次のようにお話ししているよ。

すみやかに本願真実の他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことに聖人報恩謝徳の懇志にあひかなふべけれ。
<蓮如上人 御文章第3帖第9通『御命日章』から抜粋>

ここでは、「阿弥陀さまの働きかけに全てお任せと、ご信心を頂くことによって、お浄土に生まれて仏(ほとけ)に成る身と定まることこそが、何よりの親鸞聖人への恩返しですよ」と仰られているんだ。

ええっと、ぼくが「お浄土」に生まれて「仏」に成ると決まることが、一番の恩返しになるってことかな?

うん、そうだね。

ただ、ここで「仏(ほとけ)」とだけ聞くと、単に「亡くなった人」とイメージする人もいるかもしれないね。
よく刑事ドラマで亡くなった人のことを「ほとけさん」と言ったりするしね(^_^)

でも本来の意味はそうじゃないんだよ。

それ知ってるゾウ!
「仏(ほとけ)」っていうのは、ものごとをありのままに見ることができる人で、苦しみの原因である執着・煩悩から離れた人なんだよね!!
仏教の一番大切な目標なんだゾウ!

すごい!よく知ってるね!

それほどでもないゾウ(キリッ)。。。

たしか。。。修行によって「縁起(えんぎ)」「無常(むじょう)」「無我(むが)」「法」に、「目覚めた人」のことなんだよね(キリリッ)??

きくぞう君に変身していた時、色々聞いていてよかったゾウ。。。(※「住職さんに聞くゾウ!」参照)

そうそう。だから、「仏(ほとけ)」の原語である「仏陀(ブッダ)」の本来の意味は「(法に)目覚めた者」なんだよね。

ただ現実として私たちの多くは、そういった「法」に目覚めるための修行をする環境に身を置いていない。或いは多少修行したとしても苦しみのもとである執着から離れることは難しいと言われるんだ。

親鸞聖人も比叡山という場所で20年間大変な修行をされたのだけど、どうしても執着・煩悩から離れることが出来なくてね。そんな絶望の中、聖人が出会った教えが「南無阿弥陀仏」のお念仏とお浄土の教えなんだよ。

20年修行してもダメだったの!?
お念仏とお浄土の教えって何なんだゾウ???

うん、「仏」に成るための「法」は、満足に修行も出来ない私からは、本来とても遠い存在だよね。

その「法」が私たちのために親しみやすい形を取られたのが、「阿弥陀さま」の姿であると言われるんだ。

ぼくたちにも分かりやすいように、「法」から近づいてきてくれたってこと!?

うん、そうだね。
そして、その阿弥陀さまが更に私たちに歩み寄り、寄り添ってきた姿が、私たちの口から出る「南無阿弥陀仏」というお念仏であるとされるんだ。

え、お念仏が阿弥陀さま???

うん、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまそのものであり、私の口を借りて出てくる「わたしを必ず仏にしよう」という、阿弥陀さまの願いと働きかけであると言われていてね。

その働きかけに疑いなくお任せしますとご信心を頂いた時、私たちは命終えた後、阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏になる身が決定するというのが、浄土真宗の教えなんだ。

ぼくでも「仏」に成れるってこと!?

うん。難しい修行をすることが困難な者、修行しても苦しみの原因である執着を離れることが出来ない者、そもそも修行する環境にない者。浄土真宗は、そういったこの「私」を対象とした教えなんだ。

そのような道を伝え残してくださった方が親鸞聖人であり、そのことに感謝するのが「報恩講」というご法座なんじゃないかな。

分かったよ、住職さん。
お念仏やお浄土という仏さまへの道をぼくも歩む事が、なによりの恩返しになるんだよね。
さっそく家に帰って報恩講の準備するゾウ!

なまんだぶ

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