語り部
きくおうさん

前話のまとめ
○前回のテーマ
「大乗非仏説論ってなんだゾウ?」

・大乗経典はお釈迦さまの直説ではないので、正式なお経ではないとの批判。
→大乗仏教発生以来続く大問題。

・大乗の思想家の回答
「お経の意義は直説であるか否かでなく、仏の真意が説かれていること。法にかなっているかどうか。」

⇒大乗の具体的な経典や思想とは?←今回はここじゃゾウ。


第十六話「大乗のお経と思想を知りたいゾウ(初期大乗編)」
注目ワードインド仏教」「大乗経典(初期)」「経典の書写」「般若経」「維摩経」「浄土経」「般舟三昧経華厳経」「法華経」「龍樹」「」「六波羅蜜」「布施」「三乗方便一乗真実」「久遠実成の釈迦牟尼仏」「仏身論」「二身説」「三身説」「如来

きくぞう君

「大乗仏教」のお経って、いったいどんなものがあるの???

住職さん

紀元前後は、それまで口頭伝承のみで伝わっていた経典の、書写化が始まった時代だとされていてね。
その時代から、多くの文書化した『大乗経典』が登場してきたと考えられているんだ。

経典それぞれ成立年代は、一般的に初期・中期・後期と分類されていてね。
経典に「○○年に成立」と書かれているわけではないから、おそらくそうなのではという便宜的な区分ではあるけど。

お経に書いてないなら、どうして成立年代が分かるんだゾウ???

基本的には、お経が中国に渡る際の翻訳者とその年代が基準となっているみたいなんだ。
例えば、3世紀頃までに漢訳された大乗経典は、その時、既にあったことが証明されるので初期に分類される、みたいなね。

あとは、そこにインド仏教の二大思想家であるナーガルジュナ(龍樹、2~3世紀頃活躍)ヴァスバンドゥ(天親、5世紀頃活躍)の活躍したであろう年代の情報も加味されてね。
前者の思想に影響を与えたであろう経典は初期(紀元前後~3世紀頃)、後者に影響を与えたであろう経典は中期(3世紀~6世紀終わり頃)、それ以降の経典を後期と、一応の分類がされているんだ。
まあその年代も、学者によってばらつきがあるから、あくまで目安だと思ってね。

以下に有名な大乗経典を挙げてみるよ。

初期・中期・後期の主な『大乗経典

初期>(紀元前後~3世紀頃)
・般若(はんにゃ)系経典
 『八千頌般若経』
 『二万五千頌般若経』
 『般若心経』
・『維摩(ゆいま)経』
・浄土系経典
 『無量寿(むりょうじゅ)経』
 『阿弥陀(あみだ)経』
・『般舟三昧(はんじゅざんまい)経』
・『華厳(けごん)経』
『法華(ほっけ)経』

中期>(3世紀~6世紀頃)
・如来蔵(にょらいぞう)系経典
 『如来蔵(にょらいぞう)経』
 『不増不減(ふぞうふげん)経』
 『勝鬘(しょうまん)経』
『涅槃(ねはん)経』(大乗)
『解深密(げじんみっ)経』

後期>(7世紀~1200年頃)
・密教系経典
 『大日(だいにち)経』
 『金剛頂(こんごうちょう)経』

なるほど。。。
成立した年代ははっきりとは分からないんだね。

それにしても知らないお経が沢山あるゾウ!
これでも全部じゃないんだよね!?
どんなことが説かれているの

まず初期のものと考えられる大乗経典(紀元前後~3世紀頃)から。
インド王朝の時代区分でいうと、北インドではクシャーン朝、南インドではサータヴァーハナ朝が栄えていた頃だね。

これらを語る上で、まず欠かせないのは『般若経典』
『般若経典』といっても、そういった一つのお経があるのではなく、色んな般若経典、例えば『八千頌般若経』や『金剛般若経』、『般若心経』もそうだね。他にもあるけど、そうした複数ある般若経典群を総称してこう呼んでいるんだ。

『般若経典』の正式名称は『般若波羅蜜多経(はんにゃはらみったきょう)』でサンスクリット語の「プラジュニャー・パーラミター」からきたものだね。意味は「智慧の完成」。だから『般若経典』は「智慧の完成を目標としたお経」というわけなんだ。

思い出した!
「空(くう)」の思想を説くお経だね(※第六話参照)。


「全てのものは因縁によって仮に和合して存在しているのだから、不変の実体、本体の様なものは、なにものにも存在しない。」

そう。全ての大乗経典の基盤となる思想だね。
インド仏教の大思想家、ナーガルジュナ(龍樹、2~3世紀頃活躍)は、この『般若経典』から「空」の思想を取り上げ、確立・大成したんだ。

浄土真宗にとっても、とても重要な人だよね。
正信偈(浄土真宗の聖典)にも出てくるし!

「りゅーじゅーだーいじしゅっとーせー♪(龍樹大士出於世)」

うん、七高僧(親鸞聖人が浄土真宗の祖師として敬った七人の高僧)の最初の一人として、本堂にも大切にそのお軸が飾られているお人だね。

あとは、「六波羅蜜(ろっぱらみつ)」という大乗の菩薩の修行法が説かれている点でも重要なお経なんだ。

六波羅蜜
①布施波羅蜜(ふせはらみつ)
施しをすること
②持戒波羅蜜(じかいはらみつ)
戒律を守ること
③忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)
耐え忍ぶこと
④精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)
すすんで努力する事
⑤禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)
精神を統一し、安定させること
⑥智慧波羅蜜(ちえはらみつ)
完成された智慧を得ること

大乗仏教にも「戒」「禅定」の修行が説かれているんだね!?

うん、「波羅蜜(はらみつ)」の意味は「完成」だから、6つの完成すべき徳目のことだね。

初期・部派の時代より続く、3つの基本の修行の形。身体をめ、心をめ、仏の智を得る、「戒」「定」「慧」「三学(さんがく)」(※第十話参照)を下地にしながらも、そこに「布施」の徳目が加えられているのが、特徴なんだ。

「布施」って、仏さまやお坊さんに対するお礼のこと???

現代では、そうした意味に限定して使われがちだけど、本来はもっと広い意味を含んでいてね。
「布施(原語 ダーナ)」とは「施す」ということ。

「財施(ざいせ)」、「無畏施(むいせ)」、「法施(ほうせ)」の3つに分類される、大乗の菩薩が修めるべき善行なんだ。

三施
①「財施(ざいせ)」
他の人(僧侶に限らない)に、物資を与えること。
②「無畏施(むいせ)」
畏れなき心を施し、不安を取り除くこと。
③「法施(ほうせ)」
仏の教えを人々に伝えること。

物やお金を渡すだけじゃなくて、不安を取り除いたり、仏教を伝えたりすることも、お布施なんだね!!!

うん。加えて、「布施」は執着を離れた行為であり、三つの清浄性を保たなければならないとも言われている。
それを「三輪清浄(さんりんしょうじょう)の布施」と言うんだよ。

三輪清浄の布施
「布施」という行為は、「布施する者」「布施物」「布施を受け取る者」の三つから成り立っており、それらは全て本来「清浄(空)」なのだから、次のような執着をしてはいけないということ。それは苦しみのもと。

が施してやった」「これだけの物を施したのだから見返りがあるだろう」「なんだ、これっぽっちか」等

確かに、ついつい見返りを求めてしまうゾウ。。。
それが苦しみのもとになるんだね。

言葉にするとシンプルなんだけど、とっても難しいことだよね。

前回(※第15話)もお話ししたけど、部派の「大乗は仏説でない」とする批判に、龍樹菩薩はこの「六波羅蜜」を挙げて、「利他」と「自利」と「解脱」という仏陀の教えの要点が示されているのだから「仏説」なんだ、と主張したんだ。
大乗仏教の正当性を示すものという意味でも、とても大切な思想だね。

※布施と持戒が「利他」、忍辱と精進が「自利」、禅定と智慧が「解脱」に当たる(龍樹『宝行王正論』より)

思想の面から見ても、修行の面から見ても、『般若経』は、とっても大切なお経なんだね。

他にはどんなお経があるの???

「空」の思想をテーマとしたお経では、『維摩経(ゆいまきょう)』というお経も有名だね。
維摩結(ゆいまきつ)、原名はヴィマラキールティという在家者が主人公のお話でね。

病にかかり見舞いにきてくれた、舎利弗(しゃりほつ)や目連(もくれん)などの仏弟子、果ては文殊菩薩などの大菩薩の質問に対して「不二の法門」という「空」の思想を説き、感銘を受けたというんだ。

不二法門
善悪、生滅、正邪、苦楽など、一見相反、対立して見えるものは、空の観点から見れば本来二つに分かたれるものではない。
どちらかに偏った見方は苦しみの元だから離れるべきとする教え。

お坊さんじゃなくて、在家(一般信者)の人が、教えを説いたの?
しかも、菩薩さまにまで!!

うん。その問答の中で、「言葉による表現を離れることが不二なのではないか」と文殊菩薩は仰るんだけどね。
それに維摩結はただ沈黙(言葉を離れることを沈黙で表現)を返して「不二の法門」を示したんだ。
「維摩の一黙、響き雷のごとし」という有名なエピソードなんだよ。

「在家者」の仏道に重きを置く、大乗仏教ならではの面白いお経だよね。

うん、びっくりだゾウ(゚д゚)!
他には??

『浄土』系の経典も初期の代表的な大乗経典だね。
浄土真宗や浄土宗の所依の経典である『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』も、このグループに当てはまるよ。(※原題は『スカーヴァティー・ビューハ』。意味は「安楽国の荘厳」)
阿弥陀仏阿閦仏(あしゅくぶつ)薬師仏(やくしぶつ)などのお釈迦さま以外の「仏」の存在。そしてその仏国土(浄土)が説かれる、他経典とは少し趣が異なる経典だね。

修行する環境にない在家の者、あるいは修行しても煩悩から離れることが出来ない者。つまり今世において「仏」に成る可能性を閉ざされた者が、命終えた後、そのお浄土に往き生まれることによって「仏」の道を歩むことが出来る。それが浄土経典に説かれる何よりの特色なんだ。

これらに関しては、また浄土真宗のお話しをする時に詳しく触れたいと思うよ。

大乗経典には、『般若経』の「空」や「六波羅蜜」みたいな、かっちりとした教えや修行が説かれることもあれば、『浄土経』のように、修行を満足に出来ない人のための教えもあるんだね。
幅広いゾウ。。。

修行をしていないボクには、とっても気に成るお経だゾウ。
また絶対聞かせてね!

うん、了解だよ。

ちなみに、「仏に会う」「仏を見る」「お念仏をする」という意味合いにおいては、『般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)』というお経も『浄土経典』と似ているね。
ただ、こちらは「般舟三昧(諸仏の現前する瞑想)」という題名からも分かるように、れっきとした瞑想からなる修行法が説かれたお経でね。
念仏を伴う三昧中(瞑想中)に、お浄土の阿弥陀仏に見(まみ)えれば、その体験を通して空の真理を体得できると説かれるんだ。

本当だ、似てる。。。
けど、浄土に往き生まれて仏に成るんじゃなく、瞑想の修行によってこの世で「空」の悟りを得ているから、違うことが説かれているお経だよね。

そうだね。
ただ、確かに違うんだけど、お互いに影響を与え合う経典で、中国の浄土経の展開にも大きく関わった、浄土真宗にとっても無視できないお経なんだ。

さて、他には、『華厳経(けごんきょう)』というお経もあってね。
中国ではこの経典に基づく「華厳宗」という宗派が成立し、奈良時代には日本にも伝えられる、後世に大きな影響を残した経典だね。

内容の特徴としては、大乗仏教の菩薩の修行の段階が順次に説かれていること。
特に「十地品」という章には、最終的な10種の修行段階が体系的、思想的に説かれていて、「六波羅蜜」の修行とも結びつき、後の大乗の実践教理に多大な影響を与えているんだ。

他にも「入法界品」という章も有名で、善財童子という青年が、真の菩薩行を求める遍歴がドラマ仕立てで語られていてね。
五十三人の善知識(ぜんじしき。悟りに導く善き友)に導かれて、真の菩薩行を完成させるというのが本筋なんだ。
東海道五十三次の五十三の数字は、この善知識の数からきているらしいね。

菩薩の行について、大切なことが説かれているお経なんだね。
東海道五十三次のことも知らなかったゾウ!!

あとは、『法華経典』もこの時代の大乗経典を語る上では欠かせないお経だね。
日本では、特に天台宗や日蓮宗で重んじられているお経なんだ。
原題は『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』。訳すと「白蓮華のように優れた正しい法の経」。中国では「妙法蓮華経」とも訳されているね。

「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」って、もしかして「南無妙法蓮華経(なむほうれんげきょう)」と関係ある???

うん、あるよ。
特に日蓮宗で大切に唱えられている題目だね。

この経典の特徴としては、「三乗方便 一乗真実(さんじょうほうべん いちじょうしんじつ)」の教えが説かれていることが挙げられていてね。

「三乗方便 一乗真実」???
「三乗」は確か「声聞・縁覚・菩薩(しょうもん・えんがく・ぼさつ)」のことだったよね?(※第十四話参照)

そう。それは本来、大乗仏教側(菩薩)から部派仏教(声聞・縁覚)への痛烈な批判だったわけだけど、『法華経』はその思想を発展させてね。

「声聞乗・縁覚乗・菩薩乗」という三種の求道の道は、人々の性質や能力に応じて区別して説かれた道、相手の資質を調えるための方便の道であって、全ての仏・教えは本来、「全ての者が等しく仏の悟りを得られること(一仏乗)」を目的として現れたのだと説かれるんだ。

それまであった「三乗」の道は、教えを説く相手の成長のため説かれた仮のもので、その全ては本来「仏」に成ることを目的としていたってことかな??

そう。当時の仏教界の論争に対する『法華経』の一つの回答だね。

またこの経典は、お釈迦さまの永遠性という部分にも大きく言及したものでね。
それを「久遠実成の釈迦牟尼仏(くおんじつじょうのしゃかむにぶつ)」と言うんだ。

釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)はお釈迦さまの事だよね?
「久遠実成(くおんじつじょう)」って何???

「久遠実成」というのは「遙か遠い過去から仏に成っていた」ということ。
歴史的には、お釈迦さまは35歳で悟りを得て80歳で入滅したとお話ししたよね(※第11話12話参照)?

うん。
ブッダガヤでの瞑想の後、悟ったんだよね??

そのことについて『法華経』は次のように説くんだ。

久遠実成の釈迦牟尼仏
・実はお釈迦さまは遙か遠い過去に既に仏に成っていて、量りしれない時間、あらゆる人々を教化している。
・人としてのお釈迦さまは「仮の姿」。本身は永遠常住であって、遙か過去から現在、未来に至るまで、一切の人々の救済のため働きかけている。
・お釈迦さまとして生まれ、80歳であえて入滅したのは、いつも仏がいると思うと怠慢の心が生まれ、仏道に励む精神が損なわれるから。

お釈迦さまって、そんなに昔からいたの!?
仮の姿ってどういうことだゾウ??

お釈迦さまの姿とその本質に関する問題だね。

少し聞くけど、お釈迦さまがいた時代は、皆の関心事は教えを説くお釈迦さま自身にあったと思うよね。

うん?それはそうだと思うゾウ?
教えの先生が目の前にいて、しかも「仏」さまなんだから、その先生を見本にするのは当たり前だゾウ。

でもお釈迦さまがいなくなった後は、そうはいかない。
のこされた者たちにとってお釈迦さまの入滅は、「仏」という存在をあらためて考える契機となったんだね。

お釈迦さまをお釈迦さま足らしめたもの、「仏」を「仏」足らしめたものとは何だったのか。。。?
そこで導かれた答えが「法」なんだ。

直接、お釈迦さまに聞けないからこそ、皆必死に「仏って何なんだろう」と考えたんだね。
それで、その答えが「法」ってことか。。。

でも、「法」という真理がまずあって、それを大切にしなさいというのは、お釈迦さまも最初から言ってたんじゃないの?

うん。以前からそのことはお話ししているよね(第四話第五話第十五話参照)。
量り知れない過去から未来へと流れる「法」という理(ことわり)。
それに目覚めた者が仏であり、お釈迦さま。
より根元的なものは「仏」ではなく「法」であるということは、確かに当初から説かれていたことではあるんだ。
その考えがお釈迦さまのいなくなった後、より顕著となり深まったということだね。

「大乗非仏説論」に対する「法」にかなうものなのだから「大乗経典」は正当な経典である、といった大乗仏教側の姿勢も、そういった「法」への注目の高まりが関係しているのかもしれないね。

ええっと、前回(※第15話)の、「お釈迦さま自身が実際に説いた」という事実より、「法が説かれていること」の方が、お経として大切にされるべきという主張だね。

そうだね。
そしてそういった「法」への関心は、「仏の本質とは何なのか」「仏の身体とは何なのか」という「仏身論」へと展開していく。
「仏」の本質とは「法」であり、仏」とは「法」が私たちに合わせ、姿・形を取ったものだというね。

「法」「仏」の姿に成るの????

うん、不思議だよね。
真理そのものである「法」は、煩悩により眼を遮られている私たちには本来程遠いもの。
この世界に満ちているのだけど、色も形もなく、目に見えないと説かれるんだ。
だから、現実の私の元に「法」が至り届くためには、それを媒介するものがいる。
それが「仏」さまだと言うわけだね。

『法華経』の説明の際、「久遠実成の釈迦牟尼仏」、つまり「遙か過去世からお釈迦さまは仏であった」と説かれていることについて触れたけどね。
これはつまり、「法」が私たちに合わせ、過去に幾度も「仏」として現れ、2500年程前のインドでは「お釈迦さま」として出現したという教えなんだ。

また、『浄土経典』等に説かれる様々な仏の存在。「多仏思想」と言うんだけどね。これも「法」が人々の素養に応じて、様々な仏の姿を取って現れ出たということだね。

仏教では、これを「二身説(にしんせつ)」と言ったり「三身説(さんしんせつ)」と言うんだ。

仏身論
二身説
・法身(ほっしん)
仏の本性である「法」そのものの身体。色・形はない。
・色身(しきしん)
色・形ある生身の仏。「お釈迦さま」。

三身説※二身説に報身が加わったもの。
・法身(ほっしん)
・色身(しきしん)
・報身(ほうじん)
菩薩であった時、立てた願いと行の報いによって顕れ出た仏。例「阿弥陀さま」。

●「法」から程遠い「私」
「法」←(遙か遠い)ー「私」
●そんな「私」のために「法」が接しやすい姿を取り近づいてくる
「法」→お釈迦さま(色身)や阿弥陀さま等の仏さま(報身)→私

「法そのものの身体」「法身」「色・形のある身体」「色身」ってことだね!?

色・形のない「法」が、ボク達に合わせて、色・形のある姿で出てきてくれたってことか。

うん。
仏さまのことを「如来(にょらい)」と称すけど、まさにその働きを表した言葉だね。

如来
原語「タターガタ」。「真(法、真理)の世界からた者」という意味。

ぞぞぞう!!
「如来」に、そんな意味が!?

色・形のない「ことわり」そのものが、私たちに働きかける姿。「法」をとても身近に感じられる教えだよね。
二身説『般若経』三身説瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)という大乗仏教の学派から、展開・確立したと考えられていてね。

初期から説かれていた「法」が根本であるという思想が、お釈迦さまの入滅をきっかけに、大乗仏教の時代、時間的(遙か過去から未来まで。久遠実成)にも、空間的(どこのどんな人であっても。多仏思想)にもダイナミックに展開したんだ。

どんな時でも、どんな場所でも、どんな人のためにも、仏さまとなって働きかけているってことだね!
阿弥陀さまがご本尊の浄土真宗にとっても、すごく大切な考え方だね!!

そうだね。
大乗仏教というと、まず「空」のことが言われるんだけど、それに勝るとも劣らない大切な思想だと思うよ。

今回は初期の大乗経典と大乗思想についてお話ししたよ。
次回は中期・後期の大乗経典と大乗思想についてお話ししようね。

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第十七話「大乗のお経と思想を知りたいゾウ(中期~後期大乗編)」に進む

<よければこちらも!補足コーナー>
大乗仏教運動はどこから、誰の主導のもと生まれたのか?それを論じる研究を「大乗仏教起源論」と言います。
定説はありませんが、代表的なものに、次の3説があります。

①部派仏教から生まれたとする説
部派の中で、革新派であった大衆部から大乗仏教は派生したとする説です。根拠としては、大乗仏教の「多仏」や「心性本浄(衆生の心の本性は本来清浄である)」等の思想が、大衆部に説かれるものと共通性が見られることが挙げられています。

②仏塔を信仰する在家者集団から生まれたとする説
お釈迦さまのお墓である仏塔の運営は、在家者が主導であったと考えられています。この仏塔を中心とした在家者集団の中から、大乗仏教は展開したのではないかとする説です。大乗経典中に見られる仏塔崇拝思想や、在家者中心の傾向を検討した上での指摘です。

③仏伝文学から生まれたとする説
仏伝文学とは、「過去世を含むお釈迦さまの生涯」を物語る文献の総称です。『マハーヴァスツ(大事)』『ブッダチャリタ(仏所行讃)』など、他にも多数の文献があります。文献中に見られる「授記(じゅき。未来に仏に成ることを保証する予言)」「六波羅蜜(ろくはらみつ。菩薩の行法)」「十地(じゅうじ。菩薩の修行段階)」等の思想が、大乗経典のものと共通することを踏まえての指摘です。

※現在の研究は、単一の起源から大乗仏教の多様性を説明することは困難と考え、①②③を含めた、多様な源泉から原因を探る方向へと進んでいるようです。