
きくおうさん
【前話のまとめ】
○前回のテーマ
第十五話「お釈迦さま入滅後、仏教はどうなったんだゾウ?(大乗非仏説編)」
注目ワード 「インド仏教」「大乗経典」「大乗非仏説論」「初期経典」「阿含経典」

ええっと、前回は「大乗仏教」の人は「自利利他円満(じりりたえんまん)」や「菩薩(ぼさつ)」の精神を大切しているって話だったよね。
出家者のみを大切にして見えた、部派仏教、アビダルマ仏教の姿勢に、反対したんだゾウ!

そうだね。
そうした、いわゆる大乗仏教運動を背景として、多種多様な「大乗経典」が次々と出てくるんだ。
西暦紀元前後から登場してきたと考えられているよ。

え!「大乗経典」ってお経のことだよね?
西暦紀元前後に登場ってどういうこと??
「お経」はお釈迦さまの説かれた言葉を、伝え残したものなんだよね???

うん、とうぜん疑問に思うよね。
初めて聞いた時、多くの人が引っかかるポイントかなと思う。
実際、近代の研究においては、大乗の経典はお釈迦さまの入滅後、数百年の時を経て成立したものだという見解が、半ば常識のように言われているしね。

えええっ!?
でも、日本に伝えられている仏教の殆どは、「大乗仏教」のお経なんだよね??
お釈迦さまの直接説いた教えじゃないの???

そうだね。
そうした「大乗は仏説(お釈迦さまの説いたもの)にあらず」という批判は、当時の部派仏教側からもあったみたいだね。
こうした批判を「大乗非仏説論(だいじょうひぶっせつろん)」と言うんだ。
僧団の中で、口頭伝承されてきた「経・律・論(きょう・りつ・ろん)」の「三蔵(さんぞう)」こそが、真の仏説であるとする立場だね。

ぞぞぞう。。。
そんな風に言われたら、ぐうの音も出ないゾウ。。

うん、ただね。
今日、この「三蔵(さんぞう)」ですら、その殆どがお釈迦さまの直説(直接説かれたもの)ではないと、学問的には考えられているんだ。

えぇ、、そうなの!?

うん。
実際「論」はその性格上、ほとんど弟子たちによって成立、拡大していったものだろうしね。
他にも「経」。これは分類上、「大乗経典」に対して「初期経典」や「阿含経典(あごんきょうてん)」と言われるんだけど、その中にも新・古層の部分があると言われるんだ。

それじゃあ、何が実際お釈迦さまの説いた言葉か分からないゾウ。。。

実際そうなんだ。
ただね。
仏教は、お釈迦さまが直接説いたものか否かを必ずしも問題視する宗教ではないかと思うんだ。

どういうことだゾウ???

うん、もちろん「お釈迦さまが説かれた」という事実は、のこされた者たちにとって大きな意味を持つよ。
実際、お経自体も冒頭に「このように私は(お釈迦さま)から聞いた」と、お釈迦さまの直接の言葉であったことを強調する形式を取るしね。
ただ、さっきも言ったように、お釈迦さまの教えを弟子たちが分析し纏めた「論(アビダルマ)」であっても、「仏説」、つまり「仏が説いたもの」と部派僧団の立場から認められるわけで、当時から必ずしも「お釈迦さまが直接説いた言葉」=「仏説」という姿勢は取られていないんだ。
これは他宗教に比べてもかなり特殊で、何かを定義してしまう「ことば」というものを「無常」「無我」「空」の立場から否定する仏教思想の特殊性も影響しているのかもしれないね。

なるほど。そう言われるとそうだね。。。
じゃあ、「お釈迦さまが直接説いたこと」が根拠にならないのなら、何をもって「仏教のお経」だと認められるの???

それは色んな解釈があると思うんだけど、「お釈迦さまが伝えたかったことが根底にある」ということが、経典の何よりも大切な意義かなと思うんだ。
そしてそれは「法(ダルマ)」の存在だと思うんだ。

「法」ってたしか「縁起(えんぎ)」や「無常(むじょう)」や「無我(むが)」の教えだったよね。(※第四話「法ってなんだゾウ?(前編)」)

他にも「空(くう)」(※第六話 「空ってなんだゾウ?(前編)」)や「智慧」「慈悲」(※第八話「智慧と慈悲ってなんだゾウ?」)の精神もそうだね。
そして、それらの法に目覚めた者が「ブッダ」。つまり「仏(ほとけ)」と言われるんだ。

「仏」に成った人は、苦しみから抜け出すんだよね。(※第二話「仏に成るってなんだゾウ?(前編)」~第三話)

そう。
そうした「法」のことわりや、「自利利他」を供えた「仏」という目標。そして「そこに至るための道のり」が根底に説かれているということが、お経の大切な条件かなと思うんだ。
お釈迦さま自身よりも「法」そのものを重視する姿勢は、初期経典のお釈迦さまの「自灯明 法灯明(じとうみょう ほうとうみょう)」(※第十二話「お釈迦さまの生涯を知りたいゾウ!(伝道編)」)や病床のヴァッカリを見舞うエピソード(※第四話「法ってなんだゾウ?(前編)」)の中にも見て取れるしね。

お釈迦さまの伝えたかった「法」は大乗仏教にも説かれていて、だから「仏説」であり「仏教のお経」と言うわけだね。

うん。
だからこそ、お釈迦さま入滅後、はるか時と場所を隔てた日本においても、大乗仏教が「仏説」と皆に受け入れられているんじゃないかな。
さて。次回は、大乗思想のその後の展開や具体的にどのようなお経があったかについてお話ししようね。

がんばるゾウ!
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<よければこちらも!補足コーナー>
筏の譬え。
法からの展開ともいえるし、各時代土地ごとの先人の努力の結果ともいえる。
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お釈迦さま入滅後、仏を仏と成らしめた「法」そのものに注目が集まる。元々お釈迦さま在世の時から、あった「法」そのものを根源とする姿勢が顕著に。法性法身から方便法身。他仏信仰。浄土思想。久遠実成の釈迦牟尼仏。
僧団の口頭伝承の傾向。出家者を対象とした教えのみを継承。在家者に説かれていた教えも潜在的に継承されており、それが大乗運動の流れの中、蘇った可能性もある。何も根拠のないものを部派のグループの中で併学するだろうか?