語り部
きくおうさん

前話のまとめ
○前回のテーマ
「お釈迦さま入滅後、仏教はどうなったんだゾウ?(僧団分裂~大乗興隆編)」

・戒律緩和派と保守派の議論をきっかけに僧団分裂→最終的に20に分派。

・在家者を置き去りにする学問化。アビダルマ時代突入。

・それは自利のみを求めた小乗の生き方であり、自利利他をそなえた菩薩の生き方ではないと批判(大乗仏教運動)。

⇒そもそも大乗は仏説なのかという議論に派生。どうなる?←今回はここじゃゾウ。


第十五話「大乗非仏説論ってなんだゾウ?」
注目ワードインド仏教」「大乗経典」「大乗非仏説論筏のたとえ」「指月のたとえ

きくぞう君

ええっと、前回は、「大乗仏教」「自利・利他」を具えた「菩薩(ぼさつ)」の生き方を大切しているって話だったよね。

出家者の悟り(自利)のみを目的として見えた、部派仏教・アビダルマ仏教の姿勢に、それは「小乗(限られた者しか悟れない)」の仏教だと批判したんだゾウ!

住職さん

そうだね。
そうした、いわゆる大乗仏教運動を背景として、多種多様な「大乗経典」が次々と出てくるんだ。
紀元前後頃から登場してきたと考えられているよ。

え!?ちょっと待つゾウ!!
「大乗経典」ってお経のことだよね?
紀元前後頃に登場ってどういうこと??

たしか、お釈迦さまは紀元前5世紀頃の人だったはず。。。
「お経」はお釈迦さまの説かれた言葉を、伝え残したものじゃないの???

当然疑問に思うよね。
初めて聞いた時、多くの人が引っかかるポイントかなと思う。

ただ、仏教学という研究分野においては、大乗経典はお釈迦さまの入滅後、数百年の時を経て成立したものとする見解が、常識のように語られているのは、確かな事実なんだ。

えええっ!?
でも、日本に伝えられている仏教の殆どは、「大乗仏教」のお経なんだよね??
お釈迦さまの直接説いた教えじゃないってこと???

文献研究にも限界があるし、実際どうだったのかは確定は出来ないのだけど、「直接」という意味ではそうなのかもしれない。
実際、そうした「大乗は仏説(お釈迦さまの説いたもの)にあらず」という批判は、当時の小乗仏教(部派仏教)側からもあったみたいだしね。
こうした批判を「大乗非仏説(だいじょうひぶっせつ)」と言うんだ。

僧団の中で、口頭伝承されてきた「経・律・論(きょう・りつ・ろん)」「三蔵(さんぞう)」のみが、真の仏説であるとする批判だね。

ぞぞぞう。。。
そんな風に言われたら、ぐうの音も出ないゾウ。。

ぐう。。。

日本でも江戸時代から近代に至るまで存在する議論。大乗仏教発生以来続く、大問題だね。

ただね。
今日の研究では、その「三蔵(さんぞう)」ですら、その多くがお釈迦さまの直説(直接説かれたもの)ではないと、考えられているんだ。

ぞぞぞう!!!
そうなの!?

うん。
実際「論(アビダルマ)」はその性格上、ほとんど弟子たちによって成立、拡大していったものだろうしね。

他にも「経(スートラ)」、つまり『四ニカーヤ』(※第13話参照)のことだけどね。
こちらは分類上、「大乗経典」に対して「初期経典」と呼ばれるのだけど、その中にも新層・古層の部分があると言われているんだ。

では、その最古層の部分がお釈迦さまの金言そのものかと言えば、それも分からない。
文献学的にそのことを確定するのはおよそ不可能なことなんだ。

それじゃあ、何が実際にお釈迦さまの説いた言葉か分からないんじゃ。。。

本当にそうだね。

ただ、仏教は本来、お釈迦さまの直接説かれたものかどうかを、必ずしも問題視する宗教ではないと思うんだ。

え??
どういうことだゾウ???

もちろん「お釈迦さまが説かれた」という事実は、遺された者たちにとって大きな意味を持つよ。
実際、お経自体も冒頭に「如是我聞(にょぜがもん)」、つまり「このように私は(お釈迦さま)から聞いた」と、お釈迦さまの直接の言葉であったことを強調する形式を取るしね。

ただ、さっきも言ったように、お釈迦さまの教えを明らかに弟子たちが分析し纏めた「論(アビダルマ)」であっても、「仏説」、つまり「仏が説いたもの」と部派僧団の立場から認められているわけで、初期仏教当時から必ずしも「お釈迦さまが直接説いた言葉」=「仏説」という姿勢は取られていないんだ

え、、でもお釈迦さまが直接説いたことじゃなくてもいいって。。。
そんなことってありえるの!?

うん、かなり特殊だと思う。
普通、宗教の聖典というと、概ね開祖が説いたものに限定されると思うんだけど、仏教の経典は逆に、時代を経て増加していったんだ。あたかも時代の要請に応じて、教えが説かれたようにね。

このことには、何かを定義する「ことば」というものにとらわれない、仏教思想の特殊性も影響しているのかもしれない。
有名な比喩話に「筏(いかだ)のたとえ」というものがあって、お釈迦さまは次のように説かれたんだ。

「筏(いかだ)を組んで大河を渡る者が、渡り終えればそれを捨てていくように、苦悩の激流を抜け出た者は、教えも捨てていきなさい」
(※文意簡略。『マッジマ・ニカーヤ』「蛇喩経」より)

苦悩という問題を解決したのなら、私の説いた言葉であっても、捨てていきなさいということだね。
大乗仏教の代表的思想家 龍樹菩薩(※第六話十六話参照)も、「指月のたとえ」で同じようなことを仰っていてね。

「月を指差してあれを見よと言うと、惑う者は指先を見て月を見ない」
(※文意簡略。龍樹『大智度論』より)

真理(月)を示すために、お経の言葉(指)があるのに、惑う者は言葉の方ばかり気にしてしまう。
「お経のことば」は勿論大切だけど、必要以上にそこに固執してはいけないというお言葉だね。

なるほど。。。
でも、「お釈迦さまが直接説いた言葉」が根拠にならないのなら、何をもって「仏教のお経」だと認められるの???

それは色んな解釈があると思うんだけど、「仏さまの真意、伝えたかったことが根底にある」ということが、経典の大切な意義かなと思うんだ。

そしてそれは「法(ダルマ)」の存在なんだと思う。

「法」って、「縁起(えんぎ)の教えみたいな???

そう。
「縁起を見る者は法を見る 法を見る者は縁起を見る(マッジマ・ニカーヤ)」というのは、お釈迦さまの有名な言葉だね。
「縁起」は、本来、色・形のない「法」という真理を、ことばで表したもの。「無常」「無我」(※第四話参照)であったり、大乗仏教では「空」とも表現されるものだね(※第六話参照)。

そういった真理に目覚めた者が「仏(ブッダ)」で、苦しみの輪から解放(解脱)された人なんだよね(※第二話第三話参照)?

うん。
縁起に代表される「法」という真理。それに目覚め、「自利」「利他」を具えた「仏」という目標。
それらを伝えることが仏の真意であり、それらを示したものが、お経なんだよ、と。
それは、「お釈迦さまの直説」ではないという理由で発せられた「大乗非仏説」に対する、大乗思想家たちの回答でもあると思うんだ。

龍樹菩薩の部派に対する次の言葉にも、その点が見て取れる気がするね。

「仏陀の教えは要約すれば、利他自利解脱のためにあります。それらは六つの完全なる徳(六波羅蜜)のなかに収まります。それゆえに、これは仏説であります。」
龍樹『宝行王正論』より

※六波羅蜜(ろっぱらみつ)…大乗の菩薩の修行法。第16話で少し触れます。
※訳語は『大乗仏典14 龍樹論集(中公文庫)』より引用。

でも、待って。。。
部派仏教(小乗仏教)の人たちだって、「法」「仏」のことは大切にしていたんじゃないの?

それはもちろん、そうだよ。
部派で伝えられていた教えが、その後の展開、大乗仏教の教えの基盤・基礎になっていることも間違いないと思う。
ただ部派仏教時代の僧団内には、その教えを大切にする思いからアビダルマ(論蔵)が整備され、結果、出家者を尊重する流れが生まれた。

それを「自利のことばかりで、利他の精神に欠けている。自利だけでは仏の真意と言えない。」と大乗仏教は批判したわけで。
そうした背景のもと大乗経典は成立したんだ。

すれちがいから争いが起きたけど、仏さまとその教えを大切にする気持ちは、どちらも同じなんだよね。。。

この、お釈迦さま自身やその言葉よりも、真理である「法」そのものを重要視、本質であるとする姿勢は、初期経典のお釈迦さま自身の言葉の中にも既に見られているんだよ。

「(私がいなくなった後も)法を鳥とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とするな」(ディーガ・ニカーヤ:大パリニッバーナ経)

「私の身体を見るものが仏を見るのではなく、法を見るものこそが仏を見るのだ」(サンユッタ・ニカーヤ)

「如来(ほとけ)が世に出ても出てこなくても、法界(法)は常住である」(サンユッタ・ニカーヤ)

この「法」が、きちんと受け継がれているからこそ、お釈迦さま入滅後、はるか時と場所を隔た日本においてまで、大乗仏教が「仏説」として繋がれてきたんじゃないかな。

さて。次回は、大乗思想のその後の展開や、具体的にどのようなお経があったかについて考えてみようね。

がんばるゾウ!

第十四話「お釈迦さま入滅後、仏教はどうなったんだゾウ?(僧団分裂~大乗興隆編)」に戻る
第十六話「大乗のお経と思想を知りたいゾウ(初期大乗編)」に進む

<よければこちらも!補足コーナー>
・部派と大乗の関係性
「小乗」と称される「部派仏教」と「大乗仏教」と聞くと、犬猿の仲で常に争っているというイメージがあるのでは?
確かに、大乗の思想家達(龍樹、天親など)と教義を競っている様子は、仏教文献にも多々見られます。
しかしながら、共に目指すべき方向は同じ。
教理に共通する部分は多く、殆どの大乗経典は、部派仏教に伝わる経典の理解を前提に説かれています。
訳経僧として名高い、法顕(342?-423?)や玄奘(602-664)や義浄(635-713)は、僧院の中で大乗と小乗を合わせて学ぶ人を見たとも伝えてもいます。
少なくとも彼らが来た時代には、大乗と小乗を選んで学べるだけの自由があったことが分かります。
このことから、当時、大乗の経典が部派僧団にも「お経」として受け入れられていたとも考えられますし、大乗経典が生まれた背景には部派仏教の出家者が深く関与していたと考える学者さんも多くいます。
「小乗」と「大乗」と言うと常にけんかをしていて、「小乗」は日本に伝わる大乗仏教と全く別のものというイメージが先行しているような気がしましたので、少しその点について触れてみました。