語り部
きくおうさん

前話のまとめ
○前回のテーマ
「お釈迦さまの生涯を知りたいゾウ!(伝道編)」

・お釈迦さまブッダガヤにて葛藤の末、自らの悟りの内容を説くことを決意。

・苦行時代の5人の修行仲間たちに教えを説く(「初転法輪」)。
→仏・法・僧の「三宝」の成立。

・各地にて45年に及ぶ伝道活動。その後、クシナガラにて80歳で入滅。
「自灯明 法灯明」の言葉を遺す。

⇒「法」を説くお釈迦さまがいない!どうなる??←今回はここじゃゾウ。


第十三話 「お釈迦さま入滅後、仏教はどうなったんだゾウ?(仏塔建立~第一結集編)」
注目ワードインド仏教ストゥーパ / 卒塔婆(仏塔)第一結集」「マハーカッサパ」「アーナンダ」「ウパーリ」「口頭伝承」「阿含経典」「ニカーヤ」「三蔵(経・律・論)

きくぞう君

お釈迦さまがいなくなっちゃったゾウ。。。
その後はいったいどうなったの??

住職さん

伝承によると、在家信者が中心となって、葬送儀礼をしたみたいだね。王さまの火葬のように盛大に執り行われたらしいよ。
 
その後は、お釈迦さまのご遺骨をめぐって、8つの部族の王が争いを始めようとしたんだけど、ドーナというバラモンの仲裁もあって事なきをえてね。8つに平等に分けられたんだ。
これらの遺骨をもとに各地にストゥーパ(仏塔)が建てられたんだよ。

ふ~(~_~;)
とりあえず、けんかにならなくてよかったゾウ。

ところで「ストゥーパ」って何??

うん、お釈迦さまのご遺骨。仏舎利(ぶっしゃり)と言うんだけど、それを納めた塚・建築物でね。「仏塔(ぶっとう)」と訳されるんだ。
仏に成られたお釈迦さまを象徴したものであり、礼拝・信仰の対象でもあるんだよ。
後に、アソーカ王(阿育王)という王様がいた時代には、八万四千もの「仏塔」が建てられたとの伝承もあるね。

元々は半球状のドームの様な形なんだけど、時代とその地域に応じて様々なものが作られるようになってね。例えば、日本にある五重の塔もそうだね。

インド サーンチーのストゥーパ(仏塔)
京都醍醐寺の五重の塔

お釈迦さまのお墓みたいなものかな?
大きなお饅頭みたいな形なんだね!!

五重の塔がストゥーパ(仏塔)というのもビックリだゾウ!!

ちなみに、この「ストゥーパ」の音を漢字で表現したものが「卒塔婆(そとば)」
お墓によく見られる石や木の板などの墓標(卒塔婆)は、元々はこの仏塔がルーツだと言われるんだ。

卒塔婆(そとば)って、元々そういう意味だったんだね。

それで、お釈迦さまが亡くなった後、お弟子さん達はどうしたの??

それは、大変な哀しみの中にあったと伝えられていてね。

ただ、なんとその最中に、スバッダというお弟子さんが「そんなに嘆くことはないだろう。これで私たちは解放された。これからは好きなことをしよう」と言ったらしいんだ。

え!?
なんてことを。。
空気よむゾウ!!
そんなことを言ったら、みんなバラバラになっちゃわない???

まあ、正直といえば正直な人だったんだろうけどね(汗)

それで、僧団の中心メンバーは「このままではお釈迦さまの教えが失われてしまう」と危機感を持ったらしくてね。
当時存命していた弟子たちの中で筆頭だったマハーカッサパ(漢名:摩訶迦葉 まかかしょう)の招集のもと、お釈迦さまの遺した教えの確認作業を行ったんだ。
それを「第一結集(だいいちけつじゅう)」と言うんだ。

なるほど、お経の確認会だね。

それで「結集(けつじゅう)」って何だゾウ???

うん、サンスクリット語「サンギーティ」の漢訳でね。「ともに唱えること」という意味だね。
皆でお釈迦さまの教えを唱えて、互いの理解に齟齬(そご)がないかを確かめ合ったんだ。

この初めての確認会議「第一結集」は、マガダ国の首都であるラージャガハ(漢名:王舎城)で行われてね。500名ものお弟子さん達が集まったらしいよ(※そのため五百結集とも言う)。

500名も!!!
そのマハーカッサパ(摩訶迦葉)さんが、みんなをとりまとめてくれたの?

統括する責任者はそうだね。
ただ、お弟子さんの中にも役割はあってね。
お釈迦さまの遺した教法そのものについては、弟子たちの中で「多聞第一(たもんだいいち)」と呼ばれたアーナンダ(漢名:阿難 あなん)尊者が中心となってまとめたんだ。

「多聞第一(たもんだいいち)」??

うん、アーナンダ(阿難)尊者は、お釈迦さまのいとこであったと言われていてね。
だれよりもお釈迦さまの傍で教えをいていたから、そう称されたんだ。
この時代、教えは全て口頭で弟子に伝えられていたから(口頭伝承)、それを誰よりも記憶していたアーナンダ(阿難)尊者が「結集」において重要な役割を果たしたんだね。

ぞぞぞう!?
全部、口伝えで???
すごい記憶力だゾウ。。。

うん、本当にすごいことだよね。

お経はたいていのものは「如是我聞(にょぜがもん)」、つまり「このように私は聞いた」という定型句で始まるんだけどね。
これはアーナンダ(阿難)尊者のセリフで、「第一結集」の会議でもこうした言葉で口火を切って、記憶していたお釈迦さまの教えを諳(そら)んじたらしいんだ。
だから、この「私」というのは、本来はアーナンダ(阿難)尊者のことだね。

そうした形式で、お釈迦さまの教法は『アーガマ』と呼ばれるお経の形に纏められたんだ。

「アーガマ」???
絶対どこかで聞いた気がするゾウ、、、
たしか、戦艦。。。

「ガンダム」の戦艦「アーガマ」は関係ないよ。。
名前の出元はそうかもしれないけど。。。

まちがえちゃったゾウ
(少しあざとい)

『アーガマ』というのは、「伝来」や「伝承」を意味していてね。
古い時代から伝えられてきた教えであることを示した言葉なんだ。

現在は、漢訳の経典では4種の『阿含(あごん)経典』、パーリ語の経典では5種の『ニカーヤ』という形で伝承されているよ。
※「阿含」はアーガマの発音に漢字を当てた音写語。「ニカーヤ」はアーガマの別称で「部」と訳される。

↓『阿含経典』と『ニカーヤ』の対応(同色がそれぞれ対応

四阿含    五ニカーヤ
➀長阿含   ➀ディーガ・ニカーヤ(長部)
※長編の経典をまとめたもの

②中阿含   ②マッジマ・ニカーヤ(中部)
※中編の経典をまとめたもの

③雑阿含   ③サンユッタ・ニカーヤ(相応部)
※テーマに応じて短編の経典をまとめたもの

④増一阿含  ④アングッタラ・ニカーヤ(増支部)
※教えの項目数(三界、四諦、五蘊、、等)に着目して分類編纂されたもの

対応漢訳なし  ⑤クッダカ・ニカーヤ(小部経典
※短編の経典をまとめたもの     

現代に確認できる『阿含経典』『ニカーヤ』は、お弟子さん達に伝わった教え(アーガマ)が、異なる言葉(漢文とパーリ語)で残ったものなんだね。

でも、漢訳の『阿含経典』には『ニカーヤ』5番目の『クッダカ・ニカーヤ』に対応するものがないみたいだけど。。。?

うん、『スッダ・ニパータ』『ダンマ・パダ』『ジャータカ』などの、とても有名なお経が纏められている『ニカーヤ』だね。
確かに漢訳には、他の『ニカーヤ』の様に対応したものは無いんだけど、例えば『ダンマ・パダ』に対応する『法句経(ほっくきょう)』というお経があるように、個別に対応するお経は存在するんだ。

『四阿含』『ニカーヤ』では、その経典を伝承していた僧団グループが異なるからね。ある程度の相違点は見られるんだ。
この僧団グループ(部派僧団)のことに関しては、次回お話しするよ。

五ニカーヤはスリランカにて上座部という僧団グループが伝えているもの。長阿含法蔵部中阿含雑阿含説一切有部という僧団グループが伝承していた経典が漢訳されたもの。増一阿含の帰属グループは不明。

なるほど。そういう事情があるんだね。

アーガマというお経の他には、どんなことを確認し合ったの??

この結集の時には、「律(りつ)」の確認作業も進められてね。
この律をよく知り守っていたという点で「持律第一(じりつだいいち)」と称された、ウパーリ(漢名 優波離)尊者を中心に行われたんだ。

あ、「律(りつ)」って、前にも少し聞いたゾウ(※第十話参照)。
確か、僧団で皆で生活する上でのルールだったよね?

そうそう。
お弟子さん達が増えてくると、僧団を律する規則も重要になってくる。
お釈迦さまがいなくなった後は、なおさらそれを引き締める必要性が出てきたんだと思うよ。

こうしたアーナンダ尊者ウパーリ尊者の活躍もあって、僧団内に「経(アーガマ)」「律」が整備され確立したんだ。
この分類を「経蔵(きょうぞう)」「律蔵(りつぞう)」と言ってね。
少し時代が進むと、お釈迦さまの教えを解釈し論じた「論蔵(ろんぞう)」というものも整備されて、この「経」「律」「論」をまとめた「三蔵(さんぞう)」が成立したんだ。
お釈迦さまの教えを三種に分類した呼称だね。

三蔵
①経(スートラ)
お釈迦さまの教え。教法。アーガマ(阿含経典/ニカーヤ)のこと。
②律(ヴィナヤ)
出家者の団体行動における規則。規律。
③論(アビダルマ)
お釈迦さまの教えを解釈し論じたもの。

「三蔵(さんぞう)」
どこかで聞いた気が。。。

それは多分、三蔵法師 玄奘(さんぞうほうし げんじょう)のことかな。
お経の代表的な漢訳者で、西遊記の物語にも出てくるから有名だよね。
ただ、よく誤解されるのは、「三蔵法師」というのは「経」「律」「論」「三蔵」の全てに精通した僧侶ということで、誰か特定の人を指した名称ではないんだ。
だから、西遊記の三蔵法師玄奘は、数ある三蔵法師の一人ということになるね。

「三蔵」って夏目雅子さんの名前じゃなかったんだ!
知らなかったゾウ!!

夏目雅子さんは、今も昔も夏目雅子さんだけどね。。。(笑)
確かにドラマではまり役だったけど。

雅子さん、綺麗だったね~( ̄▽ ̄)

まあ、でも安心したゾウ!
お釈迦さまがいなくなった後も、みんなで協力して教えを伝えていこうと頑張ったってことだね。

うん。まあ、確かにしばらくはそうだったみたいなんだけどね。
時が経つにつれて、次第に教団内においても見解のすれ違いが出てきたらしくて。。。
大きな分裂が起きてしまうんだ。

ええ!?
大きな分裂!!??

続きは次回にお話ししようね。

第十二話「お釈迦さまの生涯を知りたいゾウ!(伝道編)」に戻る
→第十四話「お釈迦さま入滅後、仏教はどうなったんだゾウ?(僧団分裂~大乗仏教興隆編)」に進む

<よければこちらも!補足コーナー>
現存している『アーガマ』、つまり漢訳の『阿含経典』とパーリ語の『ニカーヤ』は、4種ないし5種に分類されているため、一見それだけの数のお経に見えますが、実際は、それぞれが膨大な数のお経の集合体です。

【四阿含経典】
 長阿含(30経)
 中阿含(221経)
 雑阿含(1362経)
 増一阿含(471経)
【四ニカーヤ】
 ディーガ・ニカーヤ(34経)
 マッジマ・ニカーヤ(152経)
 サンユッタ・ニカーヤ(2872経)
 アングッタラ・ニカーヤ(2198経)
 クッダカ・ニカーヤ(15部)

これだけ膨大な経典が、口頭で伝承されていたという事実にまず驚かされます。ここに「律」と「論」も加わるというからなおさらです。
その中には、第一部「仏教の基礎」でも触れたような、「縁起」「無常」「無我」などの「法」、煩悩に惑う私たちを目的とした「智慧と慈悲」の言葉が、様々な形をとって説かれています。
後に生まれる様々なお経・思想の枠組みとなる大切な経典だと思います。