住職

常髙寺の基本情報です。
寺町はお寺が込みあっていますので、迷われないようご注意ください。

アクセス

■名称
天祥山 常髙寺(てんしょうざん じょうこうじ)
〈浄土真宗本願寺派〉

■所在地
〒794-0017
愛媛県今治市風早町4丁目1-13

■電話番号 / FAX
0898-22-2264(電話)
0898-35-0294(FAX)

■地図

■お寺外観
↓道路に面した山門が目印です(ご近所にお寺がいくつもあるのでご注意ください)。

↓敷地内。正面に本堂(ほんどう)、右手に経蔵(きょうぞう)、左手に門徒会館があります。「きくぞう君」が出迎えてくれます。

■駐車場

↓第1駐車場(常髙寺山門横。8台駐車可。)

↓第2駐車場(池内仏壇店前。5台駐車可。)

↓第3駐車場(池内仏壇店先、渡辺医院前。11台駐車可。)

寺町って何?

 様々な宗派のお寺があつまる今治の「寺町」、その中に常髙寺はあります。江戸時代初期、築城の名手とうたわれた藤堂高虎(とうどうたかとら)は、今治城建築にあたり、並行して城下町の整備を進めました。お城を中心に武家屋敷や町人の暮らすエリアがあり、その外側に寺町は設けられたのです。
 これらは、城の守りを固める砦としての役割を担っていたのではないかと考えられています。

常髙寺の歴史

一、名称 浄土真宗本願寺派 天祥山 常髙寺

一、寺基創立 慶長八年(西暦1603年)二月

一、住職世代(初代~十八代)

  初代  釋了空 
      俗名 加藤常髙(つねたか)
 

 俗名は加藤玄番頭常髙。難波六郎頼基の玄孫、浅海藤四郎能長の孫、父頼基、母東條氏と伝えられています。今治城を築いた藤堂高虎と同郷とあり、滋賀の出身と考えられています。
 豊臣秀吉近習の士官であったそうですが、故あり出家。岡山、広島と移り、大崎下島(呉市)に居を構えました(現在も大崎下島には初代の祈念碑とお堂が残り、大崎下島の久比の稱名寺、大崎上島の沖浦の圓妙寺、大崎上島の木江の浄泉寺、関前の大下の法珠寺の四軒は、初代と親縁関係にあるお寺となる。瀬戸内海の西部地域を囲むようにして互いに連絡を取り合い、ご門徒共々浄土真宗の教線を構成していた)。
 後に渡海し、今治石井村(現在の石井町)に居住。慶長八年(西暦1603年)二月上旬、今治の町割が有った際、藤堂高虎との知己の縁で現在の地を寺地として頂いたとされています。その後、一寺建立を本山に願い出て、俗名(常髙)を寺名として賜りました。

  二代  釋教智

  三代  釋圓及

  四代  釋湛能

  五代  釋祖海

  六代  釋珠峯

  七代  釋孔易

  八代  釋乗正

  九代  釋㤗信

  十代  釋教信

  十一代 釋信純

  十二代 釋道洹

  十三代 釋信純

  十四代 釋大俊

  十五代 釋道圓

  十六代 釋正之

  十七代 釋泰憲(前住職 加藤泰憲)   

  十八代 釋大地(現住職 加藤大地

↓大崎下島にある初代住職 加藤常髙の祈念碑とお堂。第十四代住職 加藤大俊建立。

寺族紹介

寺族紹介

協力してお寺を盛り立てている家族を風船人形で紹介しています。似てるかどうかは、お寺に来られた時に判断してみてください。

僧侶紹介

お寺で法務を担当している僧侶を風船で作成し紹介しています。お参りでお会いした際には、ぜひ見比べてみてください。