【前話のまとめ】
○前回のテーマ
「お釈迦さま入滅後、仏教はどうなったんだゾウ?(仏塔建立~第一結集編)」
・お釈迦さま入滅後、遺骨を分配し、ストゥーパ(仏塔)建立。
・僧団が分解するのを危ぶみ「第一結集(教えの確認会)」開催。
→「経」と「律」の成立。
⇒しばらくは安定、、、からの分裂。なぜ???←今回はここじゃゾウ。
第十四話 「お釈迦さま入滅後、仏教はどうなったんだゾウ?(僧団分裂~大乗興隆編)」
注目ワード 「インド仏教」「第二結集」「根本分裂」「上座部」「大衆部」「枝末分裂」「初期仏教(原始仏教)」「部派仏教」「アビダルマ(論)」「大乗仏教」「小乗仏教」「自利・利他」「阿羅漢」「菩薩」「声聞」「縁覚(独覚)」「三乗」「四弘誓願」
お釈迦さまがいなくなってからも、協力して頑張っていたんだよね?
前回、分裂って言ってたけど、いったい何があったんだゾウ??
うん、最初は良かったみたいなんだけどね。
人が増え、時も経つにつれて意見のすれ違いが出てきたらしいんだ。
お釈迦さま入滅後100年経った頃に、第二回目の確認会議、つまり「第二結集(だいにけつじゅう)」があったと伝えられていてね。ヴェーサーリーに700人の僧侶が集まったんだ(七百結集)。
この時、見解の違いから教団が大きく二つに割れたとされていてね。
これを「根本分裂(こんぽんぶんれつ)」と言うんだ。
「根本分裂」??
見解の違いって何だゾウ??
簡単に言うと「戒律を緩めるか否か」で、賛成派と反対派が対立したらしいんだ。
(※阿羅漢〈悟った者〉をどう定義するかで対立したとする説もある)
戒律を緩めるって例えばどんな???
戒律の緩和を提案したのは商業都市ヴェーサーリーに住む出家者たちであったと伝えられているんだけどね。
例えば塩の貯蓄、或いは金銀を受け取りや使用をしてもよいのかということかな(※こういった批判が10種あったと伝えられる。「十事の非法」)。
当時の僧侶は戒律で、執着の対象となる財産を所有してはいけないとされていたからね。
「戒律に厳格で保守的なグループ」と「時代に合わせて戒律も緩めていくべきとする革新的なグループ」で意見が割れたんだ。
前者の保守的なグループは「上座部(じょうざぶ)」、後者の革新的なグループは「大衆部(たいしゅうぶ)」と呼ばれているよ。
昔からの形を守るか、時代に合わせて変わっていくのか、難しい問題だね。。。
うん、現代の仏教にも通じる問題かもしれないね。
これを契機にその後も、「上座部」「大衆部」は共に分派を繰り返していってね。
最終的には、二十ほどの派に分裂したと言われるんだ。
これを「根本分裂」に対して「枝末分裂(しまつぶんれつ)」と呼ぶんだ。
仏教史の時代区分ではよく、分裂以前の時代を「初期仏教」や「原始仏教」時代。分裂以後の時代を「部派仏教」時代と呼んでいるよ。
二十も!!
そんなにあると、なんだか混乱しそうだね。
実際、各グループの残した伝承に相違が見られるところもあって複雑だね。
後に触れるけど急速に教えが多様化した時代でもあるし、研究家泣かせの時代なんだ。
ちなみにこの「部派仏教」の時代は、「アビダルマ(漢語:阿毘達磨)」の時代だとも言われていてね。
「アビダルマ」???
うん。以前お釈迦さまの教えは様々な人の性質に応じて説かれたから(対機説法)、色んな形の教えがあるってお話ししたよね(※第一話参照)?
「アビダルマ」とはその種々の教え、つまり「法(ダルマ)」を系統別に整理して分析を加えたものなんだ。
前回話した、「三蔵(経・律・論と、お釈迦さまの教えを三種に分類したもの)」の一つである「論(ろん)」のことだね。
お釈迦さまの教えを研究したものってこと??
そうそう。もちろんお釈迦さま自身の解釈も含まれているのだろうけど、各部派のお弟子さん達が、教えを細分化して体系立てたものなんだ。
それ自体はお釈迦さまの教えを理解しようとする真摯な試みなんだけどね。
ただその動きの中で、次第に僧団の教えは出家者(家庭を出て修行する者)を中心とした学問的・専門的な方向へと変わっていったみたいなんだ。
学問か~。何だかおいてけぼりになりそうだゾウ。。。
お坊さんじゃないボクに分かるかな~。
きっと、当時の人たちもそう感じたんだろうね。
本来、出家した修行者のみではなく、一般生活を営んでいた在家の人たちにも、お釈迦さまは等しく教えを説かれていたはずなんだ。
そうした思いを胸に、出家者を中心とした閉鎖的な動きに異を唱える形で起きた一大ムーブメントが、「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」の思想なんだ。
「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」。。。
確か前にも聞いたかな?(※第六話参照)
日本に伝えられている仏教のほとんどはその「大乗仏教」だったよね?
そうそう。日本の仏教にとって、本当に重要なターニングポイントだね。
「大乗」というのは「大きな乗り物」のことでね。
全ての衆生(しゅじょう。生きとし生ける者の意)が乗ることのできる乗り物、つまり在家者を含めた全ての者が「仏」に成ることの出来る教えという意味なんだ。
逆に、高度な学問や修行に耐えうる出家修行者のみを対象とした教えに成りつつあった部派僧団に対しては、それは「小乗(しょうじょう)」、つまり限られたものしか悟りに至れない「小さい乗り物」だと批判したんだ。
なるほど、そういう意味なんだね。
でも「小乗」って中々攻撃的な言葉だね。
そうだね。確かに「劣ったもの」というニュアンスがあると思う。こうした強い批判は、それまでの部派仏教全体に対してか、それとも一部の部派に対するものなのかは定かではないんだけどね。
ただ、「自利(じり)」と「利他(りた)」という言葉があってね。
「自利」は自らを利すること。「利他」は他者を利すること。
「自利」、つまり自身の悟りのみを目的としているように見える部派僧団に対して、大乗仏教は、本来お釈迦さまは「利他」、つまり他者の救いのためにも行動していたはずではないかと批判したわけだね。
実際のところ、どうだったんだろうね?
僧団のお弟子さん達は、「利他」のことを考えていなかったのかな??
そうだね。。。実際、当時の部派僧団に利他の精神が欠けていたのかは分からない。
ただ、その時代に、教えが複雑化したのは確かだろうし、僧団内の僧侶も、お釈迦さまを超人化するあまり、「仏」ではなくそれより一段次元の低い「阿羅漢(あらかん)」という悟りの形を追求していたみたいでね。
それが、大乗仏教側からは、「自利」のみを求めていると見えたんだ。
阿羅漢(あらかん)
サンスクリット語「アラハント」の音写語。「供養に受けるにふさわしい者」という意味。本来は、「仏」に至った者の別称であるが、部派仏教の時代では、「仏」より一段階劣った境地とされていた。部派仏教における修行の完成形であり、煩悩を完全に滅した者。
とにかく、そうした「自利」と「利他」が共に備わったものこそが、本来目指すべき「仏」の姿だという精神が、「大乗仏教」思想の根底にあってね。
そして、そうした生き方をする者こそが真の「菩薩(ぼさつ)」だとも主張するんだ。
「ぼさつ」って???
「菩薩(ぼさつ)」は「ボーディ・サットヴァ」が原語で、意味は「悟りを求める者」だね。
元々は『ジャータカ』というお釈迦さまの前生譚(ぜんしょうたん。前世の話を纏めたもの)のお経に出てくる言葉なんだ。
本来、過去世において善行を積むお釈迦さま個人を指した名称だったんだけど、「大乗仏教」の思想家たちは自分達こそがお釈迦さまの教えに沿った者、同じ「悟りを求める者」だといういうことで、「菩薩(ぼさつ)」と名乗ったんだ。
あ、思い出した!
前に言ってた、「他者を救うことが自らの救いとなる」という「自利利他円満(じりりたえんまん)」の考え方と繋がるんだね(※第八話参照)。
それがお釈迦さまの本来伝えていたことで、それにかなった道を歩もうと、お釈迦さまと同じ「菩薩」と名乗ったってわけだ!
うん、「自利」だけを求めない生き方。お釈迦さまの「利他」や「慈悲」の精神を回帰しようとしたんだと思うよ。
ちなみに、こうした批判は「声聞乗・縁覚乗・菩薩乗(しょうもんじょう・えんがくじょう・ぼさつじょう)」の「三乗」思想という形ともなって、表れ出ていてね。
「三乗」??
「菩薩」はいいとして、「しょうもん」と「えんがく」って何だゾウ??
「声聞乗」は、「お釈迦さまの直接的な教えを聞いて、自らの悟りを目指す者」。
「縁覚乗」は「独覚乗(どっかくじょう)」とも呼ばれて、「独力で縁起の法を悟ることを目指す者」という意味なんだ。
部派仏教の出家者はこの「声聞」「縁覚」であり、どちらも「自利」のみを求めた「小乗」の生き方に過ぎず、「自利・利他」の精神を供えた「菩薩乗」、つまり「大乗」の生き方ではないと批判したんだね。
<三乗思想>
声聞←「小乗だ!」
お釈迦さまの直接的な教えを聞いて、自らの悟りを目指す者。自利のみの生き方。
縁覚(独覚)←「小乗だ!」
独力で縁起の法を悟ることを目指す者。自利のみの生き方。
菩薩←「これが大乗の生き方だ!!」
自らのみではなく、他者も悟りに導こうと歩む者。自利利他円満の仏を目指す生き方。
また、自利・利他を共に大切にする基本精神は、大乗が掲げる、全ての菩薩に共通する誓いと願い、「四弘誓願(しぐぜいがん)」にも見られているよ。
<四弘誓願>
➀衆生無辺誓願度(利他)
衆生は無数無辺であるけれども、誓って悟りの彼岸に渡そうと願う。
②煩悩無尽誓願断(自利)
煩悩は数に限りがないけれども、誓って断じようと願う。
③法門無量誓願学(自利)
法門は無量であるけれども、誓って学ぼうと願う。
④仏道無上誓願成(自利)
仏の悟りはこの上ない境地であるけれども、誓って成就しようと願う。
仏教に利他の精神を取り戻すことが、大乗仏教の人たちの本気の願いだったってことが、よく分かるね。。。
そうだね。。。
ただ、この論争はこれだけでは終わらなかった。
「小乗」と批判された部派仏教側からも、「大乗」に対してある批判がされたんだ。
というわけで次回は、大乗仏教の歴史を語る上で、決して無視できない議論。
大乗仏教は仏説か否かを問う「大乗非仏説論」について考えてみようね。
なんだか、大変そうなテーマだね。。。
了解だゾウ。
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<よければこちらも!補足コーナー>
枝末分裂がいつどこで、何を理由に起こったかは伝承が様々で一定していませんが、漢訳『異部宗輪論』の記述によれば、最終的に次の20派に分派したと言われます。詳細に記憶する必要はないと思いますが、参考までに。
上座部系(上座部から派生した11の部派)
➀説一切有部
②経量部
③飲光部
④犢子部
⑤密林山部
⑥正量部
⑦賢冑部
⑧法上部
⑨雪山部
⑩化地部
⑪法蔵部
大衆部系(大衆部から派生した9の部派)
➀大衆部
②説仮部
③多聞部
④雞胤部
⑤説出世部
⑥一説部
⑦北山住部
⑧西山住部
⑨制多山部