【前話のまとめ】
○前回のテーマ
「お釈迦さまの生涯を知りたいゾウ!(成道編)」
・ブッダガヤにて無事悟りを得たお釈迦さま。
・しかしなぜか教えを皆に説くことを躊躇。
⇒なぜ???←今回はここじゃゾウ。
第十二話 「お釈迦さまの生涯を知りたいゾウ!(伝道編)」
注目ワード 「インド仏教」「梵天勧請」「初転法輪」「三宝」「自灯明 法灯明」
ええっと。
前回は、お釈迦さまが無事悟りを開いたんだけど、なぜか皆に教えを説くことを躊躇したって話だったよね?
どうしてだゾウ???
うん、お釈迦さまは次のように考えたらしくてね。
「この深遠な真理を人々は理解できるだろうか」
「そもそも人は真理に逆行しようとする存在だから聞き入れてくれないのではないか」
それに当時は弟子に内密に伝えることはあっても、一般の人々に宗教体験を伝えるというのは、あまり一般的ではなかったらしいというのも一つの要因かもしれないね。
そんなの困るゾウ。。。
あ!でもお釈迦さまはその後、色んな人に教えを説いたから今の仏教があるんだよね。
何で心変わりしたの???
「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」という有名なエピソードがあるんだけどね。
「梵天」は原語で「ブラフマー」といってバラモン教の最高神なんだ。
現在でもヒンドゥー教でヴィシュヌ神やシヴァ神と並ぶ神様として信仰されているんだけどね。
その「梵天」が、自らの悟りに満足して沈黙してしまいそうなお釈迦さまに、教えを皆に説いてくださいと、請い勧めたと伝えられるんだ。
その梵天さまのお願いによって、お釈迦さまは教えを説くことを決意したってこと??
そうだね。
一説には、この「梵天」はお釈迦さまの心中の葛藤を表現しているのだと言われていてね。
「このまま一人の出家者として過ごしたい」「だれも教えを理解できないかもしれない」という説法に否定的な気持ちがあったのと同時に、「慈悲の思いから他者を救いたい」或いは「他者に教えを説いてこそ自らの悟りが完成する」といった思いがあったのかもしれない。
そういった心の動きが、「梵天」の勧請というエピソードで表現されているではと考えられているんだ。
法を皆に説こうという思いが、梵天さまのお願いであらわされているってことかな。
お釈迦さまは、最初誰に法を説いたの???
仏伝によるとお釈迦さまはまず、かつて瞑想の師であったアーラーラとウッダカに法を説こうと考えていたらしいんだ。けど二人はもうすでに亡くなっていてね。
次に思い浮かんだのが、苦行時代を共にした5人の修行仲間。
彼らに法を説こうと、お釈迦さまは彼らがいるヴァーラーナシー(ベナレス)郊外にあったサールナート(鹿野園)に旅立つんだ。
そして、彼らが初めてお釈迦さまの教えを受ける者になったんだよ。
え!
でもその5人はお釈迦さまが苦行をやめて堕落したと思って、去っていったんじゃないの??
うん、そうだね。
だから、最初彼ら5人はお釈迦さまが来ても無視しようと示し合わせていたらしいんだ。
無視はよくないけど、よっぽど腹をたてていたんだね。。。
うん、ところがね。
お釈迦さまが近づくにつれて、5人はお釈迦さまを丁寧に迎え入れ、衣や鉢などの所有物を受け取り、座る場所まで用意したらしいんだ。
悟りを得たお釈迦さまの清らかな姿を見て、衝動的に迎えてしまったんだろうね。
お釈迦さまのオーラ、半端ないゾウ!!
5人は法を聞くことができたの??
うん、無事、法を説かれた5人は煩悩を滅し、悟った者と成るんだ。
このお釈迦さまの初めての説法を、「初転法輪(しょてんぽうりん)」といってね。
「輪」というのは古代インドの投擲武器である「チャクラ(ム)」のことで、本来これを回転することは世界を征服することの象徴なんだ。
でもここでは、武力による征服ではなくて、「法」という輪を回すことによる征服、つまり教化により苦しみの中にある者たちを皆、救いとろうとする思いが込められているんだ。
なるほど、そういう意味があるんだね。
でもよかったゾウ!
皆教えを聞いて悟ることが出来たんだね!!
この5人が初めてのお弟子さんになるのかな??
そうだよ。
初めて仏教出家者の集団を意味するサンガ(僧迦)が形成された瞬間だね。
このことは、仏教徒が帰依すべものである「三宝(さんぽう)」。
すなわち「仏」と「法」と「僧」が揃ったという、仏教教団にとって極めて重要な出来事なんだ。
<三宝>
①仏
悟りを開いたひと
②法
その教え
③僧
その教えを受けて悟りを目指す集団
仏教教団の記念日なんだね!
その後はどうなったの??
この「初転法輪」の後、お釈迦さまは80歳で寿命尽きるまでの45年間、伝道の旅へと出られるんだ。
出家や在家、また生まれや性別、職業などの身分を問わず、様々な人々を様々な方法で教化したと伝えられているよ。
聞く人によって説き方を変える「待機説法(たいきせっぽう)」だね!(※第一話参照)
うん、お釈迦さまの真骨頂だね。
またお釈迦さまは、雨季の三カ月間(4月中旬~7月中旬)。この期間は安居(あんご)と言い皆で集まり修行するんだけどね。
その期間を除いて、一所に留まることは基本的にせず、しかも人数を分けて伝道する形を弟子たちにも勧めてね。
そういった伝道の過程で、仏教教団にはその運営を支える在家信者の集団が生まれていったんだ。
また当時の大国であるマガダ国のビンビサーラ王から竹林精舎(仏教教団初めての僧院)、もう一つの大国であるコーサラ国から祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の寄進などがあり、布教の活動基盤が本格的に整うんだ。
そういった経緯もあり、仏教はインドにすごい勢いで広まっていったんだよ。
すごい!
45年の伝道生活だもんね。。。
他にも色々なことがあったんだろうね。
そうだろうね。
十大弟子のサーリプッタ(舎利弗)やモッガラーナ(目連)、マハーカッサパ等の弟子入りや、お釈迦さまの故郷への帰郷、当時画期的であった女性の出家集団(比丘尼)の成立など、他にもいくつものエピソードが伝えられているけどね。
伝承として残っていないものも含めると、数えきれないほど様々なドラマがあったんじゃないかな。
そういった伝道生活の末、お釈迦さま80歳でその生涯を終えられるんだ。クシナーラー(クシナガラ)の二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に横になり亡くなられたと伝えられているよ。
死因は、鍛冶工の子チュンダにより施された、豚肉或いはキノコ料理による食中毒であったとされているね。
え、お釈迦さまは食中毒で亡くなったの!!!
うん、出血をともなう激しい下痢だったらしいんだ。
でもお釈迦さまはけっしてチュンダを責めず、むしろ気にするなと、最高の供養であったと弟子アナンに言付けたらしいね。
お釈迦さまは、最後の旅の途中で、次の様なことばを残されるんだ。
「自らを島とし、自らをたよりとして、他のものをたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをたよりどころとするな」
『大パリニッバーナ経』中村 元訳
※「島」とは大海における中洲(なかず)のこと。「よりどころにするもの」の比喩表現。漢訳経典では「灯明」と訳された。
漢訳仏典では「自灯明 法灯明(じとうみょう ほうとうみょう)」と訳される、とても有名なことばだね。
「私(お釈迦さま)がいなくなった後も『自分自身』をたよりとせよ。『法』よりどころとした『自分自身』をたよりとし、しっかりと歩め」というお釈迦さまからの力強いメッセージだね。
「法」を指針とした生き方をしなさいってことかな??
お釈迦さまは自分が亡くなった後のことを心配して、私(お釈迦さま)や他の何かをたよりにするのではなく、「法」をたよりにしなさい。「法」をよりどころとした自分自身をたよりにしなさい。とこう伝えてくれたのかな。
お釈迦さまが何よりも「法」を重んじていたことが、よく分かるお話だよね。
さて、今回はお釈迦さまの生涯についてお話ししたね。
次回からは、お釈迦さま入滅後の仏教の変遷について。
「法」を説くお釈迦さまがいないという大問題。遺された者はどうしたのか。
また一緒に考えてみよう。
お釈迦さまの足跡
①ルンビニー園
お釈迦さま生まれる(紀元前463年 ※諸説あり)。「天上天下唯我独尊」の伝説。
②カピラヴァットゥ(カピラヴァストゥ)
王族としての青年時代を過ごす。「四門出遊」の後、29歳で出家を決意。
※上図ではネパール領内にあるが、インド領内にあったとする説もある。
③ラージャガハ(ラージャグリハ / 王舎城)
師を探し、当時の文化の中心地であるマガダ国の首都に訪れる。
⇒アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタのもとで瞑想の修行をする。
⇒師と同じ境地に達するが、悟りに至る道ではないと去る。
④ネーランジャラー河のほとり
苦行生活に入る(6年間)。
⇒悟りに至る道ではないと放棄。
⇒河で沐浴&スジャーターによる乳がゆの供養。
⑤ブッダガヤー
アシヴァッタ樹(菩提樹)の下で瞑想。
⇒悪魔(煩悩)の誘惑を退ける。
⇒悟るを得るが法を説くことを躊躇。
⇒「梵天勧請」により法を説くことを決意。この時35歳。
⑥サールナート
ヴァーラナシー(ベナレス)郊外のこの地で、苦行時代の5人の修行仲間に初説法。
「仏」「法」「僧」の「三宝」成立。
⇒以後45年の間、伝道の旅へ。
《有名な説法・安居の拠点》
◇マガダ国首都(③ラージャガハ)の近郊
①竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)
②霊鷲山(りょうじゅせん)
※耆闍崛山(ぎしゃくっせん)とも言う。大無量寿経、観無量寿経、法華経などの舞台。
◇コーサラー国首都(⑦サーヴァッティー)の近郊
③祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)
⇒お釈迦さま最後の旅(大パリニッバーナ経より)
⑧ヴェーサーリー(ヴァイシャーリー)
お釈迦さまが最後の旅の途次に立ち寄った場所。
⇒ベールヴァ村にて「自灯明 法灯明」のことばをのこす。
⑨クシナーラー(クシナガラ)
沙羅双樹の下で、お釈迦さま80歳で入滅(紀元前383年 ※諸説あり)。
←第十一話「お釈迦さまの生涯を知りたいゾウ!(成道編)」に戻る
→第十三話「お釈迦さま入滅後、仏教はどうなったんだゾウ?(仏塔建立~第一結集編)」に進む