語り部
きくおうさん

前話のまとめ
○前回のテーマ
「」


第二十七話「隋~唐時代の仏教を知りたいゾウ!(宗派の確立:➀天台宗)」
注目ワード中国仏教」「宗派」「」「」「中国天台宗智顗教観二門」「円融三諦」「一心三観」「諸法実相」「十界互具」「一念三千」「円頓止観法華経法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」「五時八教判(教相判釈)

住職さん

前回は、隋~唐代の国政と仏教の関係や、玄奘三蔵をはじめとする活躍した僧侶についてお話ししたよね。

きくぞう君

うん。今回は「宗派」のお話しをしてくれるんだよね?

うんそうだよ。
隋代~唐代の仏教を象徴し、日本仏教の直接的母胎ともなった非常に大切なところだね。

隋代以前の五胡十六国時代~南北朝時代は、訳経が進み主要な経典が中国に集まりだした時代で、そのお経を研究する様々な学派が現れたことを覚えている?

うん、「成実学派」「三論学派」「涅槃学派」「地論学派」「摂論学派」「四分律学派」だね(※第25話参照)。
一つのお経や理論を、必死に勉強したグループだゾウ!

そう。南北朝時代は訳経が加速的に進んだ時代であると同時に、それらのお経を整理し理解しようと奔走した時代なんだ。
そうした展開を受け、隋~唐代に入ると中国仏教は新しい段階を迎えてね。

「経典翻訳の発展」
「学派による研究の土壌」
「南北王朝統一に伴う北朝の実践的仏教と南朝の学解的仏教の融合」
「国家仏教保護による繁栄」

そうした全ての材料が揃い、外来の宗教である仏教は中国の文化・思想に溶け込み、真に中国の仏教と言い得る独自の発展を遂げたんだ。
それを示す端的なものが祖師の教義を伝承する「宗派」の形成なんだ。

「宗派」は色んな要素が積み重なって生まれた中国仏教の集大成なんだね。
どんな「宗派」があるんだゾウ?

代表的なものは次のものかな。
一つ一つお話ししていくよ。

<中国仏教の様々な宗派>
天台宗今回はここ
三論宗
三階教(普法宗)
浄土教
律宗
法相宗
禅宗
華厳宗
密教

①(中国)天台宗

まず一つ目は6世紀後半の隋代初期に成立した「天台宗」
中国に届いた様々な仏典や行を整理・統合し体系付けた「統合仏教」とでもいうべき、この時代を象徴する宗派だね。
また日本においても最澄により平安時代に伝わり、それは鎌倉時代に浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗などの新仏教興起の母胎となったわけだから、日本仏教にとっても非常に重要な宗派なんだ。

※以降、日本に伝わり独自に変容した「日本天台宗」と区別化するため、「中国天台宗」と呼称。

色んな仏教の要素を統合した宗派だったから、日本でも沢山の宗派の土台となったってことだね!
ついに中国仏教が日本仏教に直接関わってくるんだ!
前回(※第26話)お話ししてくれた、隋三大法師智顗さまが開かれた宗派だよね。

うん。宗派名の由来でもあるけど、天台山を拠点としたため「(天台大師)智顗」とも尊称される方だね。

天台思想のルーツ

智顗さまってどんな方だったの?

天台大師智顗は、南北朝時代に南朝の梁・陳で生まれ育ったんだけど、23歳(560年)の時、北朝の斉の慧思から実践的な法華学を学んでね。
その指導のもと法華三昧(天台宗の代表的な修行法。法華経に基づく瞑想法)による悟りを得たと伝えられるんだ。

智顗さまはお師匠さまから『法華経』「それを通した修行法」を伝授されたんだね。

うん、一般に中国天台宗の開祖は智顗とされるけど、その系譜を遡ると次のように考えられていてね。

天台宗の系譜
龍樹→慧文(慧思の師匠)→慧思(智顗の師匠)→智顗

インドの龍樹さまを起源と考えるんだね!

うん、慧思の著作によると、その師匠である慧文『法華三昧』と共に龍樹の著作である『大智度論』(空思想を説く般若経の注釈書)を重要視していたみたいだからね。
慧思に師事後、智顗は575年、天台山にて10年ほど修禅に励み天台の教義を確立したわけだけど、そうした「空」思想や『法華経』「それに基づく修行法」を重視する精神は引き継がれ、天台思想の中核となったんだ。

小結
師より「空」「法華経」「それに基づく瞑想法」の重要性を継承。
智顗が創始した天台思想でもそこは重要視。

教理と実践の両輪
(教観二門)

智顗が確立した中国天台宗の特色は、「教観二門」「教観双美」と言われるように、教(教理)と観(実践)が並んで重要視されることにあってね。
北朝の実践を重視する傾向と南朝の学解的傾向が上手く融合された一つの完成形と言えるんだ。

教えの理論と修行のどちらが欠けても成り立たないということだね。
どんな教えと修行なの??

うん、一つ一つお話ししていくよ。
まず教理の要に、龍樹の中観思想を展開させた「円融三諦(えんにゅうさんだい)」というものがあってね。

●天台の教理面
<円融三諦(えんにゅうさんだい)>
諸々の事象には①「空諦」(不変不滅の実体は無い)、②「仮諦」(不変不滅の実体は無いが、様々な因縁がより集まり仮に和合して現前している)、③「中諦」(その両方が成立しどちらにも偏らない)の3つの側面があり、それらは融け合い不可分で同時に成立(円融)しているとする真理。

うーん、確か龍樹さまも同じようなことを言っていたよね。

「有無の二見を破す(有の見解と無の見解どちらからも離れよ)」(※第7話参照)

この世のものは、色んな原因が集まった結果仮に有って(仮)、だからといって何も変わらない不滅のものがそこに有るわけではないんだ(空)。
そしてその、有る(仮)ことにも、無いこと(空)にも偏って考えてはダメ(中)ということだったよね??

うん。それが龍樹の説く「中道」だよね。
智顗はそこを基盤としつつも、それら「空」「仮」「中」は融け合い同時に成立していることを強調し、その真理を観ずる「行」をすることこそが仏に至る道だと展開したんだ。

それが「止観」の瞑想行であり、特にこの「空」「仮」「中」円融三諦」を観ずることを指して「一心三観」と言うんだ。

●天台の実践面
止観の行
「止」=心を一つの対象に止め静めること。
「観」=「止」の状態で真理を観察すること。
※行の基本形式である「戒・定・慧(かい・じょう・え)」(※第10話参照)でいえば、「止」は「定」に、「観」は「慧」に相当するが、天台の「止」と「観」は段階的なものでなく、鳥の両翼・車の両輪に喩えられ、どちらが欠けても成立しないとされる。

一心三観(いっしんさんがん)
三観とは①空観②仮観➂中観の三つを観ずる止観行
「空観」
空諦(不変不滅の実体は無い)を観ずること。
「仮観」
仮諦(不変不滅の実体は無いが、様々な因縁がより集まり仮に和合して現前している)を観ずること。
「中観」
中諦(その両方が成立しどちらにも偏らない)を観ずること。
「一心」
これらを一つずつ順番に観ずるのではなく、一つの心の中で「同時」に、融け合い不可分の状態として観ずる。

あ、ちょっと難しくなってきた。。。少し整理するゾウ。。

まず「止観」は「心を静めた状態で真理を観察する」行なんだよね。
そしてその「止観」の行で、「空」「仮」「中」が一つに融け合った「円融三諦」の真理を一度に心の中で観ずることが「一心三観」で。
その「一心三観」の実践をすることが仏に成る道だと。。。

これってどんな状態なんだろう?
何か世界が変わって見えるのかな?

うん、大切なところだね。
「一心三観」により世界を観ると、私たちの前に現れる現象はそのままが真理の顕現であり真実の様相であることが分かるらしいんだ。
このことを「諸法実相(この世の諸々の事象は真実の様相のあらわれ)」と言うんだよ。

世界の本当の姿が見えるってこと!?

うん。
諸々の事象は私たちの偏った眼はから区別・差別されて見えるけど、本来、円融三諦」の理の中にある私たちの世界は融け合い、不差別という枠組みの無い状態で存在しているのだと言うんだ。それが実相(ありのままの真実の姿)だね。
分かれて見えていても本来は一つ。
このことを、私たちを取り巻く世界の構造と共に説明した智顗特有の解釈が、次の「十界互具説」「一念三千説」なんだ。

●天台の教理面
十界互具説
智顗特有の「十界」の解釈。
「十界」とは①地獄②餓鬼➂畜生④修羅⑤人間⑥天の「六道」と、①声聞②縁覚➂菩薩④仏の「四聖」を合わせたもの。
智顗はこの「十界」を個別に区別されたものではなく円融(融け合い同時に成立)したものと見て、「十界」のそれぞれに「十界」のすべてが具わっている(内包している)と解釈した。
例:地獄界にも仏界が具わり、反対に仏界にも地獄界が具わっている。

一念三千説
ここでいう「三千」とは一切の現象・世界の構造を説明する智顗特有の宇宙観。
十界互具説により十界にそれぞれ十界が具わるので百界(10×10=100)。
その百界それぞれに存在の有り様を示した十如是が具わるので(×10=1000)。
諸法全ては三世間の様相として現れるので(×3=3000)。
「一念三千」=三千の全ては融け合い繋がっているので、この一瞬一瞬の心(一念)にも、地獄界から仏界にいたる三千全ての要素が具わっているとする説。

※十如是
一つの存在を十の側面から見たもの。『法華経』方便品に説かれる。智顗はこの十如是を円融三諦の顕れと捉え、一念三千説を立てる際によりどころとした。
如是相(外に現れている形・姿)
如是性(内部の性質・本質)
如是体(相と性をそなえた主体)
如是力(潜在的な能力)
如是作(外への働きかけ、作用)
如是因(直接的な原因)
如是縁(間接的な要因)
如是果(生じる結果)
如是報(結果が報いとして表れる)
如是本末究竟等(①相~⑨報まで一貫して調和している)

※三世間
世界の有り様を三つの側面から見たもの。
①五陰世間
五陰とは仏教の定義する人間を構成する5つの要素(色・受・想・行・識)であり、個人の心身を指した分類。
②衆生世間
人、動物、地獄、餓鬼、菩薩、仏など、全ての命あるものを指した分類。
③国土世間
命あるものが生きる場所・環境そのものを指した分類。

また新しい情報が~。
頑張りどころだゾウ。。。

まず「十界互具」なんだけど。
僕たちは人間だよね。
それなのに地獄や餓鬼、天界や仏さまの世界が含まれているってこと?

うん、これは天台教義の中でとても大切なところでね。
全てのものは本来融け合い一つであるとする円融の理のもと、人間や地獄、仏の世界には区切りなどないと考えるんだ。
時にお経には地獄界などの他所の境涯に菩薩が現れるなどと説かれることがあるけど、そういったことにも説明が付くしね。

私たちには、地獄の苦しみや餓鬼のような貪りの心もあれば、菩薩のような慈悲や仏さまの悟りの心も潜在している。
だからこそ「全ての者は仏につながる」と展開したわけで、「なぜ全てのものが仏と成り得るのか」という問題に対する智顗の解答なんだ。

む~なるほど。。
仏との繋がりを強調する思想なんだね。

じゃあ「一念三千」は??

それは十界互具をもう少し拡大したものでね。
十界にはそれぞれ十界が具わり(10×10)、そのそれぞれにも十如是が具わり(×10)、三世間の様相があるので(×3)、それら乗じた三千という数が世界を構成する要素だと説明したんだ。

その世界を構成する全て(仏を含む)が、私の心中の一瞬一瞬に具わっているとするのが「一念三千」の考え方だね。

数が多すぎて想像するのが難しいゾウ。。。

確かに凄く広範な世界観で観ずる対象としては難しいよね。
だからこそ最も身近な自分の心を観ぜよと。
自分の中でふと考えるこの一瞬の心に仏を含む三千の諸法が具わっていると観ぜよと言うんだ。

この智顗の理解は確かに難解のようだけど、私たちの一瞬の心にすら仏がいるというのは、本来程遠い仏の悟りが私たちと共にあるということで、非常に大乗的な発想だとも思うんだ。

なるほど、、まず身近なところに目を向けようってことだね。
でも、私たちの中に既に仏さまの心があるなら、仏に成るための修行って必要なのかな?

うん、そう思う人も出てくるかもしれないけど、これを単なる教理理解に留めず「止観」の行により実証させることが(解行一致)、「教観双美」の天台法門で必ず求められることでね。「行」も欠かせないんだ。

諸々の現象の「円融三諦」なるを「止観」によって実証する。それは円満頓速(すべてが円かに欠けることなく、たちどころに悟りにいたらしめる)なる止観行であり、天台宗では特に「円頓止観」といって大切にするんだ。
そしてその修行の段階を進めていくことで、次第に本来持っている仏の性質が顕れ出てくると説いたわけだね。

天台宗の根本宗典
(天台三大部)

「円融三諦」「十界互具」「一念三千」の教理や、「円頓止観」といった修行。
どちらも大切でどちらも欠けてはいけないことは分かったけど、それはどこで説かれているの?

それらの思想は、智顗の講義を門下の灌頂(かんじょう)が筆録した『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』天台三大部の中に纏められていてね。
法華三大部とも呼ばれ、智顗が諸経の中で最高と定めた『法華経』に基づいて、教理面と実践面を体系化し纏めた天台宗の根本宗典なんだ。

<天台三大部(法華三大部)>
【教理面を担当】
『法華玄義』
「円融三諦」などの天台の哲学的思想を解説したもの。
教理面での解説書。
諸経の中での法華経の位置づけにも言及し、なぜ最高なのかを説いた。
②『法華文句』

法華経本文の一句一句を分析し解釈したもの。
法華経の文章を読むための註釈書。

【実践面を担当】
➂『摩訶止観』

「円融三諦」「十界互具」「一念三千」などの思想と共に止観行を説明。
天台修行法のマニュアル書。 

智顗さまは『法華経』を最高のお経と考えたんだね。
「空思想」を中心に置いているように見えたから、『般若経』を重視しているのかと思ったゾウ。

うん、確かに「円融三諦」の教理自体を見ても空観の極致のようなものだから、重視していたのも間違いないけどね。

『法華経』を通して「円融三諦」「十界互具」「一念三千」「円頓止観」を説明するってことは、『法華経』自体にもそれらの言葉が見られているの?

それが、実際にはそれらの言葉は『法華経』内には見られなくてね。
言葉自体は智顗以降に成立した特有のものと見ていいと思うんだ。
ただ智顗自身は、『法華経』円教(欠けることのない完璧な教え)のみを説く最高のお経とし、法華宗の全教理はそこで説かれていると強調しているよ。

諸仏教の体系化
(五時八教の教相判釈)

智顗さまは『法華経』のどの部分からそう思ったんだろう?
それに何で色んなお経がある中から『法華経』を最高のお経としたのかな?

それを追求・解説したのが天台の「教相判釈」である「五時八教判」だね。
「教相判釈」は中国仏教を語る上で大きな特色となるけど、その中でも天台の「五時八教判」は特に有名なんだ。

<教相判釈>
「お経は全て釈尊の生涯において説かれたもの」という前提のもと、その教えの順序次第を見定めること。
各経典の内容を比較し分類整理して「釈尊がどういった順番でお経を説かれたのか」「最後に説かれた究極の教えは何か」等を探求する解釈法。

なるほど。「教相判釈」だね。
中国仏教特有の整理方法だったね。
お経の内容を比較して、順序だてしたわけだ。

たしか、南北朝時代に南朝の慧観さまも教相判釈をしていたよね?(※第24話参照)

慧観「二教五時の教判」『涅槃経』を最高のお経を定めた教相判釈だね。
一方天台大師智顗は、それら過去の説を批判して五時八教判により『法華経』こそが最高のお経であると主張したんだ(※五時八教判は宗派内で時代を経て整理統一されたものとする見解もある)。
その教判の概要を説明していくよ。

まずはお釈迦さまがその生涯の中でどのような順番で教えを説いたのかを示した「五時」からだね。

天台智顗の五時八教判①
・五時について 
①華厳時

釈尊が悟りを得た後の最初の21日間、『華厳経』が説かれた期間。
勝れた菩薩でないと理解できないほど深遠なる華厳の教えをまず説くことにより、素養の劣る声聞・縁覚にも奮起の心を起こさせるための時期。
②鹿苑時/阿含時
華厳時の後、鹿野園(サールナート)にて12年間、『阿含経』が説かれた期間。
素養の劣る声聞・縁覚を誘引するため、あえて初歩的な教えである小乗教のみを説いた時期。
③方等時
8年間、『維摩経』や『無量寿経』、他各種大乗の教えが説かれた期間。
『阿含経』などの小乗より大乗の教えが勝れていることを知らせ導く時期。
④般若時
22年間、様々な『般若経典』が説かれた期間。
全ては「空」であり、本来的には「大乗」が勝れ「小乗」が劣るなどといった偏った見方は存在しないことを伝えた時期。
⑤法華涅槃時
8年間『法華経』、臨末の一日一夜に『涅槃経』が説かれた期間。
「これまで説いた教えは全て方便(真実・成仏に導くための手段)であり、それを受ける声聞・縁覚・菩薩も、世間では区別視されるが、皆菩薩(仏を目指し行ずる者)であり仏に通じる者(三乗方便一乗真実)」と説いた時期。

※声聞・縁覚・菩薩の三乗(※第14話参照)
声聞
お釈迦さまの直接的な教えを聞いて、自らの悟りを目指す者。自利のみの生き方。
縁覚(独覚)
独力で縁起の法を悟ることを目指す者。自利のみの生き方。
菩薩
自らのみではなく、他者も悟りに導こうと歩む者。自利利他円満の仏を目指す生き方。

どういう理由でこの順番なんだろう?
慧観さまの教相判釈とも順番が似ている気がするけど。。。
お経に成立した年代は書いてないんだよね(※第16話参照)?

確かにこの五時に関してそれを裏付ける明確な証拠はないけど、経典によってはいくつかヒントとなる部分もあってね。

【例】
『法華経』に「これまでの教えは方便であり最後に真実を説く」とあるので後半に。
『涅槃経』はその題名からも分かるように、入滅直前に説かれている。
『華厳経』は「悟りを得た直後に説かれた」といった趣旨の文があるので冒頭に。

これらの情報も加味し、その上で内容面から組み立てた体系がこの五時の順序となるんだ。

なるほど!
お経の中に目安となる情報があるなら、慧観さまの教相判釈と順番が似ているのも頷けるゾウ。

内容の方からも智顗の考え方を見てみるけど、そもそも五時八教の目的は、中国にバラバラに届いてそれぞれが矛盾するような内容を説くお経をどう捉えるべきなのか?
例えばあるお経では声聞・縁覚は仏に成らず、別のお経ではそれらも仏に成ると説かれているのは何故なのか?
それらの解決を目指したものなんだ。

智顗はその違いの理由を説法の段階と考えてね。
つまり仏教的に素養の劣る者とされる声聞・縁覚などの成長段階に合わせて初期の段階では仮の教えが、最終段階に真実の教えが説かれたと理解したんだ。

①華厳時で深い悟りの『華厳経』を説いてやる気を起こさせて、②鹿苑時の『阿含経』で小乗の初歩的なことを伝えて、③方等時で様々な大乗経典を説いてそれが小乗よりも勝れていることを示す。。。

本当だ!段階を踏んでるように見えるゾウ!

うん、そして『般若経』を置いた④般若時では、「大乗」が勝れ「小乗」が劣るなどといった偏見を取り払った時期とした。

位置的にも後半であり、智顗が「空」を説く『般若経』を重要視していたことが分かるね。

小乗より大乗が勝れていると言った後に、『般若経』を説いて実はそれらに優劣はないというお話をしたと言うんだね!

うん、そこで全ての教えは等しく仏に繋がる教えであると知らせたんだ。
このことは天台法門では、大乗小乗の偏執を洗い流すことから「淘汰(とうた)の教え」、また大小の区別を開いて除き法門の融会を説いたことから「法開会(ほうかいえ)」とも呼ばれているよ。

そうした下地が出来て最後に、⑤法華涅槃時は『法華経』によりこれまで説かれたお経は方便と語られ、世間では声聞・縁覚・菩薩と区別されているが、みな本来菩薩であり仏と成り得るのだと。つまり一乗であると。その真実が説かれた時期としたんだ。
このことは、声聞・縁覚・菩薩の区別を開いて除き機根の融会を説いたことからことから「人開会(にんかいえ)」と呼んでいるよ。

教え(法)の上でも、人の上でも差別が無くなったってことだね!

うん、教えの上でも人の上でも、全ては仏に通じるものであるとこが明かされたんだね。

そして⑤法華涅槃時の臨末の一日一夜に、『法華経』の教化に漏れた一部の者のために『涅槃経』が追って説かれた。
このことを「落ち穂拾い」に譬え、『涅槃経』「捃拾教(くんじゅうきょう)」とも呼ばれたんだ。
以上が五時の概観となるよ。

なるほど、、でも待つゾウ。。
この考え方だと、お釈迦さまの悟った後から晩年までずっと教えを聞いていないと仏に成れないことにならない??

いいところに気づいたね。
智顗はそのことに関しても言及しているよ。

そもそも、お釈迦さまの説法を受けた中には色んな素養の者がいて、悟りまであと一歩の菩薩もいたはずだよね。
そのような者にはこのような一定の形式に当てはめず、臨機応変に説法がなされたと考えたんだ。
例えば、第二時の鹿苑時であっても素養がある者には、第四時の『般若経』や第五時の『法華経』が説かれたりね。

つまり、五時の一々にまた五時の教説が含まれることも状況に応じてあるわけで、これを「通門の五時」と呼ぶんだ。
そして通常の五時は「別門の五時」と呼ばれ、分けて考えられているよ。

なるほどだゾウ。。
つまり、上で説明してくれた「別門の五時」は声聞・縁覚のような素養が劣るとされる者を対象とした説法順序で、勝れた菩薩などそれ以外の者には臨機応変な「通門の五時」の説法が為されていたということだね。
了解だゾウ!

次はお釈迦さまの「説法方法」と「内容面」を各四種に分類して、「五時」を補足的に説明した「八教判(化儀四教+化法四教)」に触れるよ。
まずは「説法方法」の分類である化儀四教からだね。

天台智顗の五時八教判②
・化儀四教について
釈尊の衆生教化の手段方法を四種に分類したもの
①頓教
「頓」とは「ただちに」という意味。釈尊の悟り内容そのままをただちに説き示す『華厳経』の説法態度。衆生にとってもただちに悟りを得ることの出来る教え。
第一時の華厳時に該当。
②漸教
「漸」とは「だんだんと」という意味。衆生を浅い教えから深い教えへと順序をもって導いていく説法態度。
第二~第四時の鹿苑時・方等時・般若時に該当。
③秘密教
正しくは秘密不定経。教えを聞く者は同じ説法の場にいながら、仏の不可思議説法を受け、それぞれが別の内容として受け取り(不定)、しかも互いにその違いを知らない(秘密)という伝え方。
第一~第四時の華厳時・鹿苑時・方等時・般若時に該当。
④不定教
正しくは顕露不定教。教えを聞く者は同じ説法の場にいながら、素養の違いにより受け取る理解は人それぞれとなる(不定)という伝え方。互いにその違いを知ることもある(顕露)
第一~第四時の華厳時・鹿苑時・方等時・般若時に該当。

※これら化儀四教の手法を越えた枠組みとなるので、第五時の法華・涅槃時は非頓・非漸・非秘密・非不定の教えと言われる。

「化儀四教」はお釈迦さまの教えの伝え方を分類したもので、五時のそれぞれに当てはめられるんだね。

うん、五時を伝え方の面から補足的に説明したわけだね。
第一時の華厳時には悟りそのままの内容の『華厳経』が説かれたから「頓教」に分類され、第二時から第四時までは小乗から大乗の教えが成熟度合いに合わせ次第に説かれたから「漸教」に分類されているね。

それは何となく分かるんだけど、➂秘密教④不定教ってどういうことだゾウ?

『法華玄義』より抜粋
不定教者 同聴異聞 各得利益
(不定教とは、同じく聴けども異なって聞こえ、各々利益を得る)


秘密教者 同聴異聞 互不相知
(秘密教とは、同じく聴けども異なって聞こえ、互いに相知らず)

確かに中々思いつかない状況だよね(笑)
まず分かりやすい④不定教からいくけど、これは同じ話を聞いても聞く人の素養によって得られる理解は異なるということ。
例えば声聞には声聞の受取り、菩薩には菩薩の受取りがあり、定まらない(不定)という伝え方だね。

その受取りの違いを互いに知り得ることもあるから顕露不定教とも呼ばれるんだ。

それは分かるゾウ。
学校で先生のお話しを聞いていても、分かる人もいれば分からない人もいて色々だもんね。
じゃあ、秘密教は?

正しくは秘密不定教だね。
こちらは定義もはっきりしないところがあって、見解にもばらつきがあるから、その上での話と思ってほしいんだけどね。

まず、お釈迦さまから同じ話を聞いても、聞く人によって得られる理解は定まらないというのは不定教と同じ。
ただ定まらないのは素養の違いからくるものというよりは、お釈迦さまの不可思議な説法の力により、それぞれが異なる教えを授けられるといったニュアンスがあるらしいんだ。
そしてその受取りの違いを互いに知り得ない(秘密)。そうした伝え方だということで秘密教と呼ばれているんだ。

すごく特殊な状況だね。
この不定教秘密教は五時の第一時から第四時までに当てはまるとされるんだね。

あれ?第五時に当てはまるものが無い気がするけど??

頓・漸・不定・秘密化儀四教は、衆生を導くための教育方法で方便の伝え方とされていてね。
一方、第五時の法華涅槃時『法華経』により方便ではなく真実のみが説かれた時期とされるから、これらの方便の伝え方を越えるものとして非頓・非漸・非秘密・非不定の教えと分類されるんだ。

次は、お釈迦さまの教えを「内容面」から四種に分類し、五時を補足的に説明した「化法四教」についてだね。

天台智顗の五時八教判③
・化法四教について
釈尊の教えの内容を四種に分類したもの
①蔵教
主に声聞・縁覚を対象。小乗の悟りまでしか至れない教え。
経・律・論を意味する「三蔵教」の略称でここでは小乗の教えを指す。
事象を理論的に分析・分解して「空」を観ずる「析空観(しゃっくうかん)」を説くが、これは「すべての事象に不変の実体は無い」という一辺倒の理解なので、「但空(たんくう)の理」と言われる。小乗の観法。
第一時の華厳時に該当。
②通教
主に菩薩を対象。大乗の初門的教え。
名前の由来は一つに、声聞・縁覚・菩薩の三乗全てに説かれる「共通」の教えだということ。
二つに、その教えを聞く菩薩の中でも素養が劣った者は①の蔵教と同じ小乗の悟りに留まり(通同の義)、素養が勝れた者は➂別教④円教の大乗の悟りへと入ることが出来る(通入の義)という、小乗から大乗に「通じる」橋渡し的役割の教えだということ。
事象の体(本質)がそのまま「空」であるとただちに観ずる直感的な「体空観」を説く。「すべての事象に不変の実体は無い(空諦)」という一面の理解(但空の理)のみでなく、素養のある者は「様々な因縁がより集まり仮に和合して変化しながらも存在している(仮諦)」といった理解、同時に「それらのどちらにも偏らない包摂した中道の理(中諦)」も知り得る可能性がある(含中の教)。このことから「不但空(ふたんくう)の理」と言われる。大乗の観法。
第三時方等時、第四時般若時、第五時の涅槃時に該当。
③別教
菩薩のみが対象。純大乗の教え。
名前の由来は一つに、声聞・縁覚とは「別」に菩薩のみに説かれた教えだということ。
二つに、①②の蔵教・通教や④の円教とも内容が異なる「別」の教えだということ。
「空」→「仮」→「中」と段階的に観ずる「次第観法」を説くが、それぞれが隔てており融合が説かれていない段階の教え(隔歴の三諦)。独立した単独の中道しか説かないので「但中の理」とも言われる。
三界(欲界・色界・無色界。私たちの迷いの世界のこと)を越えた界外の教えとも言われ、肉体や寿命を自在に変化し衆生を教化するも、まだ完全に煩悩を滅していない菩薩の五十二位の修行の段階などにも言及する。
第一時華厳時、第三時方等時、第四時般若時、第五時の涅槃時に該当。
④円教
大乗最深の教え。方便をまじえず真実そのままが説かれた教え。
円満で欠けることなく隔てなく融け合う円満円融の教え。
別教のように「空」「仮」「中」を別々に隔たず、同時に成り立つとする「三諦円融」が説かれる教え。
第一時華厳時、第三時方等時、第四時般若時、第五時の法華と涅槃時の両方に該当。

見てわかるように、化法四教の教えの分類法は空観に浅深に依るものが大きくてね。
例えば一つ目の蔵教は声聞・縁覚などが行う浅い空観、二つ目の通教は主に菩薩が対象で素養によっては悟りに到るものも出てくる空観、三つ目の別教は菩薩のみを対象としたより高度な空観、四つ目の円教は三諦円融を悟る最高の空観が説かれたものを言うんだ。

本当だ!
浅い小乗の空観を説く蔵教は、初歩的な教えが説かれたされる第一時の鹿苑時に当てはまるんだね。

うん、そして大乗の初門的な空観を説く通教は、第三時方等時・第四時般若時・第五時の涅槃時に当てはめられているね。

何で通教は、第五時の法華時には説かれなくて涅槃時には説かれるんだろう?

後でも言うけど、法華時は法華経をもとに三大円融を代表とする最高の空観、真実の教えである円教のみが説かれた時期とされるからね。だから法華時には初門的な空観の通教は説かれないんだ。

そして天台の教相判釈では涅槃時の涅槃経は、法華経の教化に漏れたもののため、これまで説かれた内容を追って説明する役割を担っているから、結果通教の内容も含まれるわけだね。

なるほど。
次の別教が、第一時華厳時・第三時方等時・第四時般若時の他に、第五時の涅槃時に当てはめられているのも同じ理由だね。

うん、そのとおり。
別教は「空」→「仮」→「中」と段階的に観ずる空観が説かれる教えだね。
ただそれぞれが隔てていて融合が説かれていないから(隔歴の三諦)、円融三諦の一歩手前の空観なんだ。
それがその時期に説かれているということだね。

最後に円教は「空」→「仮」→「中」が融け合う円融三諦の教え。
これは、第二時の鹿苑時を除く全ての五時に含まれるわけだけど、純粋にこの円教のみを説く五時は第五時の法華時のみとされており、智顗がどれだけ『法華経』の重要視していたかが、ここからも分かるんだ。

以上が天台の五時八教判の概観だね。
下に関係図を挙げるよ。

「兼」
華厳時は悟りの内容そのままの難解な華厳経が説かれ、円教に別教が兼ねて説かれた。
「但」 
鹿苑時は未熟な弟子のためにあえて阿含経が説かれ、但(たん)に蔵教のみが説かれた。
「対」
方等時は様々な大乗経典が説かれ、小乗(蔵教)に固執する者に対して大乗(通教・別教・円教)の勝れたるが説かれた。
「帯」
般若時は般若経により大乗・小乗の区切りが取り払われ、化法の四教のうち通・別の二教を帯びて円教が説かれた。
「純」
法華時は法華経によりこれまでの教えは全て方便であり全ての者は仏に通じることが明かされ、他を交えず粋に円教のみが説かれた。
「追説」
涅槃時は涅槃経が説かれ、法華時の教化に漏れた者のため、蔵・通・別・円の教えを追説(もう一度説く)した。
「追泯」
涅槃時は涅槃経が説かれ、法華時の教化に漏れた者のため、法華時以前の差別的理解(声聞・縁覚は救われない等)を円教により追泯(後から消す)した。

複雑で頭がこんがらがるゾウ。。。

膨大な教えや行法を纏めて体系化したものだから、どうしてもある程度複雑になるよね(笑)

智顗は何故『法華経』を最高としたのか?

それでは、これまでの情報を含めて最後のまとめ。

智顗は何故『法華経』を最高のお経としたのか?だね。

やっとだ!
一番気になっているところだゾウ!

まず第一の理由としては、『法華経』(鳩摩羅什訳)自体に次のように説かれていることだね。

我所説諸経 而於此経中 法華最第一(法師品第十)
私がこれまで説いてきた諸々の経典、この経典の中に於いては、法華経が最も第一である

諸経中王(薬王菩薩本事品第二十三)
諸々の経典の中の王

『法華経』自身に『法華経』が一番でお経の王様だと書いてあるんだ!
確かにそれは注目しちゃうね!

第二の理由としては、同じく「法華経」自体に「三乗方便一乗真実」の思想が説かれているということ。

「三乗方便一乗真実」
(法華経以前の)これまでの教えは全て衆生の能力に応じて説かれた方便の教えであり、三乗(声聞・縁覚・菩薩)という区別は本来なく、全ては仏に至るための教えである(一乗真実)


このことを根拠に智顗は『法華経』以前の全てのお経を、いわゆる仏に至るための教育課程的なものと宣言したんだ。

智顗さまはそこに注目して、『法華経』を最高のお経とする「五時八教判」を立ち上げたってことだね!

うん、本来『法華経』自体には「これまでのお経は方便」という「これまで」が何のお経を示しているのか、詳細には説かれていなかったんだ。
そこに智顗は「五時」の体系を定義し、華厳時には『華厳経』、般若時には『般若経』等と当てはめたたわけだね。

第三の理由としては、『法華経』には「久遠実成の釈迦牟尼仏(くおんじつじょうのしゃかむにぶつ)」の思想が説かれているということだね。

久遠実成の釈迦牟尼仏
・実はお釈迦さまは遙か遠い過去に既に仏に成っていて、量りしれない時間、あらゆる人々を教化している。
・人としてのお釈迦さまは「仮の姿」。本身は永遠常住であって、遙か過去から現在、未来に至るまで、一切の人々の救済のため働きかけている。
・お釈迦さまとして生まれ、80歳であえて入滅したのは、いつも仏がいると思うと怠慢の心が生まれ、仏道に励む精神が損なわれるから。

それって前にもお話ししてくれたよね(※第16話参照)!
確かに大切な思想だゾウ。

うん。
お釈迦さまをインドの一時期に存在した一人物と限定せず、その本性は遙か過去から未来まで、この世界に働き続けている仏さまなのだと。
この世界は仏さまの働きに満ちているとする「法身」思想に繋がる、大乗仏教の大切な思想だね。

お釈迦さまの真実の姿を説いたお経として、重要視したんだね。

それだけではなく、実はこの思想は天台の中心思想である十界互具一念三千にも関わる非常に重要なものなんだ。

どういうことだゾウ??

うん、つまりね。
もし仏がお釈迦さまという歴史上の人物一人のみなら、お釈迦さま入滅後の私たち凡夫と仏の間には接点が無くなってしまうよね。それでは私たちは仏に成り得ない。

でも、お釈迦さまの本質が久遠仏で、この世界に遍満する法身であるならば、それぞれの境涯に仏の世界があるとする十界互具説も、私たちの一念に仏の世界もあるとする一念三千説も、無理なく成立出来るんだ。

なるほど。
そう考えると、智顗さまにとって『法華経』に説かれる久遠仏の思想は欠かせないものだね。

ちなみに、上に挙げた『法華経』「三乗方便一乗真実」「久遠実成の釈迦牟尼仏」は、『涅槃経』にも近しい思想が説かれていてね。
何だと思う?

それってもしかして、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」「如来常住(にょらいじょうじゅう)」?(※第17話参照)

一切衆生悉有仏性
全ての生きとし生けるものは、仏の本性(法身)を具えている。如来蔵のこと。
如来常住
如来(仏)は永遠に存在するということ。仏陀の身体は滅しても、法身としてこの世界に常に働きかけていると説かれる。

うん、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」の全ての者には仏性(仏と成る可能性)があるという思想は、『法華経』の全ての者は仏と成り得る「一乗思想」と繋がるし、「如来常住」『法華経』「久遠仏」の思想と方向性がよく似ているんだ。

智顗が、五時八教判『涅槃経』を教化に漏れたものを救う「捃拾教(くんじゅうきょう)」と喩えて、『法華経』の補足説明的なものと位置づけしたのも、そういった点が関与していると考えられるよ。

思想が似ている『涅槃経』『法華経』のサポート的お経と解釈したってことだね。

最後、第四の理由としては、『法華経』「諸法実相」を明かしたお経であるからという主張なんだ。

諸法実相
この世の諸々の事象はそのままが真理の顕現であり真実の様相であるということ

ええっと、確か悟りの目から見た世界の本当の姿だよね?

そう。
『法華経』では、この「諸法実相」に関して次のように説いていてね。

唯佛与佛 乃能究尽 諸法実相 所謂諸法 如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等 (方便品第二)
唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。


つまり「すべての存在の真実の姿」「十如是」という構造をもって現れると言うんだ。

十如是(一つの存在を十の側面から見たもの)
如是相(外に現れている形・姿)
如是性(内部の性質・本質)
如是体(相と性をそなえた主体)
如是力(潜在的な能力)
如是作(外への働きかけ、作用)
如是因(直接的な原因)
如是縁(間接的な要因)
如是果(生じる結果)
如是報(結果が報いとして表れる)
如是本末究竟等(①相~⑨報まで一貫して調和している)

うん?
難しいけど、、、それが『法華経』が説く「諸法実相」というのは分かったよ。

でも何でそれが『法華経』が最高という話と繋がるの??

うん、この「諸法実相」という言葉自体は色んなところで見られるんだけどね。
例えば般若経の註釈論書である『大智度論』では「諸法実相は般若経に説かれ、つまりはのことである」と説かれるんだ。

「空」思想を重視する智顗も、この「諸法実相」の顕れと見てね。
この思想を智顗が発展させたものが「円融三諦」だから、つまり「諸法実相」=「円融三諦」と解釈したんだ。

そして『法華経』では「諸法実相」「十如是」の構造で説明されるわけで、こうしたことから複合的に判断して、智顗は「円融三諦」という理は「十如是」という形でこの世界に顕現していると捉えたんだ。
存在の基本構造である「十如是」「円融三諦」の理の中にあるということは、この世の全てのものが円融(融け合い成立)しているということになるよね。

そして全てのものが円融していることから、「十界」のそれぞれに「十界」のすべてが具わっているという「十界互具説」が成り立ち、それを拡大した「一念三千説」も成立するというわけで、そうした思想の基盤が『法華経』の中には内包しているのだという理解から、智顗は『法華経』を最高で円満円融の「円経」であると考えたんだ。

難しくて燃え尽きそうだけど、、、一応纏めてみるゾウ。。

※②以降は智顗特有の解釈
①「諸法実相」=「十如是」(法華経に説かれる)。
②「諸法実相」=「円融三諦」。
③よって「諸法実相」=「円融三諦」=「十如是」。
→この世界の本来の姿(諸法実相)は、融け合い成立し(円融三諦)、それが存在の基本構造(十如是)として現れ出ている。
④これらを基本に「十界互具説」「一念三千説」が展開。
⑤その全てが『法華経』には内包しているから『法華経』が最高。

うん、そうじゃないかと思うんだ。

以上、代表的な四つの理由を挙げたけど、智顗はそうした様々な要素を踏まえて、法華経が最高のお経であると結論付けたわけだね。

その天台の思想が日本に伝わって、日本の仏教の基礎となり展開していったんだよね。

うん、そうだね。
日本天台の開祖最澄は、中国天台第六祖とされる堪然(711-782)の門下の道邃(どうずい)と行満から天台の宗義を継承。
日本に持ち帰られたその教えが、現代にまで伝えられる様々な既存宗派の母胎となったのだから、非常に大切なところだと思うよ。

今回はとても長くなってしまったね。
少し休んで、また次回は他の「宗派」についても一緒に考えてみようね。

がんばるゾウ。。。zzz

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十界互具 根拠 法華経竜女成仏、二乗作仏

仏の世界にも人間界や餓鬼界がある→だからこそ救いにいける。