きくおうさん

前話のまとめ
○前回のテーマ
「北伝仏教と南伝仏教ってなんだゾウ?」

・南伝仏教(南側から伝わった仏教)
上座部系の経典がスリランカを介し、ビルマ、タイ等に伝わる。

・北伝仏教(北側から伝わった仏教)
【中国】
主にシルクロードを介し、多くの訳経僧により小乗・大乗の経典が伝わる。
【チベット】
国教として積極的に受容。様々な経典が伝わるが、密教の教えを基本に置く。

⇒お経の言語は何があるのか?←今回はここじゃゾウ。


第十九話「サンスクリット語とパーリ語ってなんだゾウ?」
注目ワードインド仏教」「お経の言語」「サンスクリット語」「パーリ語

住職さん

現在確認できるお経の主な言語には、次のものがあるんだ。

お経の主な言語
【インド仏典】
・サンスクリット語
・パーリ語


【中国・日本仏典】
・漢語


【チベット仏典】
・チベット語

※他にモンゴル語や満州語のものもある

きくぞう君

中国や日本には漢訳されたお経、チベットにはチベット語に訳されたお経があるんだよね?

インドのお経は、サンスクリット語とパーリ語となっているけど、何で二つあるんだゾウ??

それを説明するにあたって、まず両言語の特徴に触れるね。

サンスクリット語
人為的に文法を厳しく規定された文語調のもの。知識階級の言葉。「サンスクリット」というのは「キチッと形作られたもの」という意味。
パーリ語
文法に曖昧な部分を残す、自然発生的な民衆語。口語。俗語。「自然発生のもの」などを意味する「プラークリット」という言葉の一種。
※他、仏典で存在が認められた「プラークリット」には「ガンダーラ語」などがある。

サンスクリット語はカチッとした言葉で、パーリ語は適当な言葉ってことかな???

適当って。。。
まあ、あながち間違いと言うわけでもないけどね(汗)

全く違う言語というわけではなくて、サンスクリット語は文章語で、教科書に載るような言葉で、パーリ語は日常的な話し言葉のようなものと言った方が分かりやすいかもしれないね。

人によっては、サンスクリット語は標準語、パーリ語は方言で、東京弁と関西弁のような関係性だと説明する人もいるよ。

サンスクリット語とパーリ語の語形の差異
(例)お釈迦さまの俗名
サンスクリット語
「ガウタマ・シッダールタ」
「ダルマ」
「ニルヴァーナ」

パーリ語
「ゴータマ・シッダッタ」
「ダンマ」
「ニッバーナ」

※「ガウタマ/ゴータマ」は「最上の牛」、「シッダールタ/シッダッタ」は「目的を成就した者」の意
※「ダルマ/ダンマ」は「法」の意
※「ニルヴァーナ/ニッバーナ」は「涅槃」の意

ほんとだ!!
確かに、そんなに形は変わらないんだね!

うん、形は似ているんだけど、サンスクリット語は、きちんと形を辿れば殆ど誤解なく意味が分かる言葉。

パーリ語は、文法に曖昧な部分があって、時に解釈の可能性を絞り切れないところがある言葉という印象かな。

お釈迦さまはどちらの言葉で教えを説いていたの??

お釈迦さまの教えは、当時口頭で継承されていたからね。
当時の文書があるわけでもないし(文書化は紀元前後のことであったと考えられている)、実際にどんな言語で話されていたかは分からない

ただ、当時サンスクリット語は祭式を司る特権階級の言語であって、そういった権威に囚われないお釈迦さまはその地方に伝わる「プラークリット(口語、方言)」で教えを説かれていたと考えられているんだ。

パーリ語みたいな???

そうだね。
パーリ語は紀元前3世紀、スリランカに仏教を伝えた僧マヒンダのゆかりの言葉(インド西部の地方語)であったと考えられていてね。
スリランカに伝わった上座部系の仏典(ニカーヤなど)は、全てこのパーリ語で説かれているんだ
このパーリ語仏典を聖典とする伝統は、ミャンマー、タイなどの東南アジア諸国も継承しているよ。

お釈迦さまが伝道していた地域の言葉(インド東部、マガダ国周辺で活動していたので古代マガダ語と便宜上呼ばれる)とどれだけ近似しているのかは色んな議論があるのだけど、現存するお経の中では、お釈迦さまの金言に最も近いものとして、重要視されるお経なんだ。

なるほど。
パーリ語仏典は、お釈迦さまの話言葉に(現存するもの中では)近いという意味でも、重要なものなんだね。
それにしても、自分の国の言葉に訳さずパーリ語のお経を受け継いでいるって、すごいね!

サンスクリット語のお経はどんなものがあるの??

うん。何らかのプラークリット(俗語)で継承されていただろう仏典は、サンスクリット語を公用語として掲げたグプタ朝が成立した4世紀以降、一気にサンスクリット語化が進んでだとみられていてね。
その治世のもとラージャグリハ(王舎城)北側に設立されたのがナーランダー僧院で、そこで大乗仏教を中心とする研究・研鑽も行われたんだ。

中国の多くの訳経僧は、そこから膨大なサンスクリット原典を持ち帰って翻訳し自国に広め、またチベットにはナーランダー出身の僧侶を派遣するなど、北伝仏教の起点となった場所だね。

グプタ朝以降、インドのお経はサンスクリット語で説き繋がれるようになったんだね。
その中心であり発信地が、ナーランダーに代表される僧院ってことか。。。

あれ、、、確かナーランダー僧院は。。。

そう。
13世紀初頭のイスラム教の侵攻により、ナーランダーを始めとする諸々の僧院は破壊されてね(※17話参照)。
インドの仏教は急速に衰退した。
それに伴い、インドのサンスクリット仏典も、殆どが消滅・散逸してしまったんだ。

そうだったんだね。。。

あれ、、、
でも、中国やインドにもサンスクリット語のお経は持ち運ばれたんじゃないの???

それらは、自国語への翻訳が終わった後は、殆どが散逸してしまったみたいだね。

今日、サンスクリット仏典として確認されるものの殆どは、インド北部にあるネパールにて継承されたものなんだ。

ネパールも仏教を継承していたんだね!

うん、地理的な意味でも近いし、色んな要素がうまくかみ合って、サンスクリット原典のまま保存されたんだ。
ただそうはいっても、他の「パーリ語経典」「漢訳経典」「チベット経典」に比べれば、完備性・網羅性は低くなっているけどね。

それぞれの言語の経典に一長一短というか、特徴があって、それらを比較検討することで、補い合いながら発展していったのが、仏教学という学問なんだと思うよ。

各経典の特徴
パーリ語仏典
インド言語(パーリ語)による初期経典(ニカーヤなどの三蔵)の継承。
大乗経典のものはない。

漢訳仏典、チベット語仏典
大乗、小乗ともに多くの経典を継承。
外国語への翻訳という問題(文意を正確に訳しきれたのか)。
何百年の歴史を持つものを一挙に受容したことによる混乱。
受容する国の文化による影響。

サンスクリット語仏典
インド言語(サンスクリット語)による主に大乗経典の継承。
現存するものが少ない。

※上記は仏教学において、経典から仏教思想を研究する上での、一般的なメリット(青字)デメリット(赤字)
※「法」を継承しつつも、状況に応じて姿を変えていくのが仏教だとするなら、受容した国の文化による影響はデメリットとは言えないのかもしれない。

お経を研究するって大変なことなんだね。
キャパオーバーだゾウ。。。

先人たちの多大な努力があったからこそ、今私たちはこうして、色んなお経に触れることが出来るってことだね。

さて、長かったインド仏教史の概論はここまで。
お釈迦さまの生涯、僧団の分裂、アビダルマ化、様々な大乗仏教経典と思想の展開、インド仏教の衰退と世界への伝搬と、色々お話ししてきたね。

お釈迦さま入滅後、これらの紆余曲折ありながらも連綿と繋がれてきた法灯の継承。言語も文化も異なる異国の地で、どのように受容され展開していったのか。
次回からはインド仏教と日本の仏教を繋いだ、中国仏教について触れていきたいと思うよ。

よ~し!
心機一転、がんばるゾウ!!

ただ、、、正直疲れたから少し休憩してね。。。

ひとやすみ、ひとやすみ。。。Zzz

第十八話「北伝仏教と南伝仏教ってなんだゾウ?」に戻る
→第二十話 中国仏教編 制作中

<よければこちらも!補足コーナー>
サンスクリット語の色々

・サンスクリット語の現状
 サンスクリット語は本来、祭式を司る特権階級の言葉で、話し言葉としてはやや堅い言語なので、母語として用いる人はほぼいません。しかしながら、祭式文献や宗教的な叙事詩などで、現在も一部の階級の人に継承されており、由緒あるインドの22の指定言語として、一定の権威を保っています。

・サンスクリット語の文字
 表記は現在「デーヴァナーガリー」という文字が用いられています。日本に伝わるいわゆる梵字(悉曇文字)とは、起源を同じくする親戚のような関係です。
※一文字一文字が諸仏諸尊を表しているとする日本の梵字理解は、密教と結びついたアジア特有の展開とされます。

・言語学成立のきっかけ
 サンスクリット語とヨーロッパの言語には、文法・語形上の類似点が多数見られ、インドとヨーロッパの諸語は、元々一つの祖語、一つの民族から派生したものだと考えられています。18世紀、イギリスの裁判官ウィリアム・ジョーンズが、インドの赴任先でサンスクリット語を学んだ際、発見したものであり、これをもって比較言語学の研究分野が誕生したとされています。

・南無阿弥陀仏とサンスクリット
 私たちが普段用いる仏教の言葉には、サンスクリット語の痕跡が所々に垣間見えます。浄土真宗のお念仏である「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」もそうです。
 「南無」とはサンスクリット語「ナマス」の音写(漢字を用いてサンスクリット語の語音を表現したもの)であり、「帰依、敬意」等を意味する名詞となります。この言葉は現在のインドでも「ナマス・テー」つまり「あなたに敬意を」といった日常の挨拶の中に確認することが出来ます。
 次に「阿弥陀」とは、否定の接頭辞「ア」と「量られたもの」を意味する「ミタ」の複合語の音写であり、直訳すると「量られたものではない」「量ることの出来ない」等を意味します。この複合語の後ろには「光」を意味する「アーバ」、「寿命」を意味する「アーユス」といった名詞が省略されているため、その全てを繋げると「ナマスミタアーバ」「ナマスミタアーユス」、つまり「南無阿弥陀仏」となり、「無量の光を有する者(仏)に帰依します」「無量の寿命を有する者(仏)に帰依します」を意味することになります。
 漢訳仏典に於いて阿弥陀仏のことを「無量寿仏」「無量光仏」と訳したり、『正信偈(しょうしんげ)』の冒頭に「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と、称えられるのはこのためです。