【前話のまとめ】
○前回のテーマ
「智慧と慈悲ってなんだゾウ?」
・仏教の二本柱
「智慧」=「われ」「わがもの」という色眼鏡を外し、ものごとをありのままに見ること。
「慈悲」=他者の問題を自らの問題として、共に喜び、悲しむ、究極の共感。
・「仏」は「自利(智慧)」も「利他(慈悲)」も具える。
・「自利利他円満」
自らを利すること(智慧)が、そのまま他を利すること(慈悲)に繋がり、他を利することが(慈悲)、そのまま自らを利すること(智慧)に繋がる。
⇒「仏」への道筋、「行」とは何か?←今回はここじゃゾウ。
第九話 「行ってなんだゾウ?(前編)」
注目ワード 「聞・思・修」「四諦八正道」「中道」
どうしたの、きくぞう君??
うーん。
ぼくたちには思い通りになるはずのないことを思い通りにしようとする煩悩があって、それは苦しみの元だから、離れなさいってお釈迦さまは説いてくれたんだよね。
そのことを心がけるだけじゃ、だめなのかな???
なるほど。
確かに仏教は、ひとりひとりの「心」を問題視する宗教だね。でも、だからといって、心のもちようを変えただけで、世界はパッと変わり苦しみは無くなりますよとは、説かれていないと思うんだ。
心と行為は密接に繋がっている。「聞・思・修(もん・し・しゅう)」という言葉があってね。
教えを聞いたり、思考したりする事は、もちろん重要。ただそれだけでなく、実践の道、つまり「(修)行」も、「法」に目覚め「苦」から離れるには不可欠ですよと、基本的にはこう説かれているんだ。
ぞぞう!
ここで「修行」が出てくるんだね!
やっぱり仏教といえば、「修行」だゾウ!!
やっぱりそういう印象なんだね(笑)
ただ「行」はね、、、説明するのが難しいなぁ(~_~;)
なんで?
どういうことだゾウ??
以前、「法」は様々な形をとって私たちのもとに届いてるってお話ししたこと、覚えてる??
ええっと、「待機説法(たいきせっぽう)」だよね(※第二話参照)?
お釈迦さまは、聞く人の能力に応じて、それぞれに理解しやすい方法で「法」を説かれたんだ!
そうだね。
「法」は私たちの性質に合わせ、色んな形で現れる。お経が沢山存在する、1つの要因でもあるよね。
同様に「行」だって色んな形のものが説かれる。「行」はよく「仏」に至るまでの道程に例えられるんだけど、個人個人の能力は違うからね。「仏」という頂きにたどり着くための、道程、つまり「行」も色んな形があるんだ。
お釈迦さまの入滅後も、その時代その土地毎に様々な展開もしてきたし、一概にこういうものだとは言いづらいんだよね(~_~;)。
なるほど、そういう事情があるんだね。
ただそうはいっても、最も基本的な考え方というか、基本的な実践の道筋は説かれていてね。
それを「四諦八正道(したいはっしょうどう)」というんだ。
「したいはっしょうどう」?
うん、「四諦(したい)」と「八正道(はっしょうどう)」だね。
まず「四諦」。「諦」は、「真理」や「真実」という意味だから、「四諦」とは4つの真理のことだね。
お釈迦さまの初説法を「初転法輪(しょてんぽうりん)」と言うんだけどね。その時に説かれた内容ともされる、とても重要な教えなんだ。
<四諦>
「苦諦」
人生は「苦」であるという真理
「集諦」
「苦」を招き集める原因は煩悩であるという真理
「滅諦」
煩悩を滅することによって、「苦」のない寂静な境地が実現するという真理
「道諦」
「苦」のない寂静な境地に至るためには、八正道の正しい修行道を実践すべきであるという真理
なんだか、今までお話してくれたことの、まとめみたいだね!
それに、前に教えてくれた「四法印(しほういん)」にも似てる気がするゾウ??(※第四話参照)
そうだね。
「この世は苦しみ多き世界」「その苦しみの原因は人の執着にある」「その執着から離れることにより苦しみから解放される」。「四諦」には、こういった仏教思想の根幹となる考え方が、ぎゅっと詰められているんだ。
確かに「四法印」とは内容的に重複するところもあるけど、「四法印」は「法」という視点から纏められたもの、「四諦」は人間の「苦」の問題とその解決法を中心に纏めたもの、という印象だね。
この「四諦」の四番目にあたる「道諦」が、今回のテーマの「行」に直接関わるところでね。次のような八つの道をいうんだ。
<八正道>
①「正見(しょうけん)」
正しい見解。正しい見方。縁起や四諦に関する正しい智慧。
②「正思惟(しょうしゆい)」
正しい思惟。正しい思考。
③「正語(しょうご)」
正しいことば。悪口やうそ等をいわないこと。
④「正業(しょうごう)」
正しい身体的な行為。殺生や盗み、愛欲に関するよこしまな行いをしないこと。
⑤「正命(しょうみょう)」
正しい生活。正しい衣・食・住。
⑥「正精進(しょうしょうじん)」
正しい努力。まだ生じてない悪は生じないように、既に生じた悪は絶つように、まだ生じてない善は生じるように、既に生じた善は増大するように、努力すること。
⑦「正念(しょうねん)」
正しい思念。正しい思いを常にこころにとどめて忘れないこと。
⑧「正定(しょうじょう)」
正しい禅定。心を定め、静めて、正しい精神統一の状態にあること。
ぞぞう、、、全部に「正」が付いているね。
正しい事をたくさんしなさいってことかな??
そうだね。
ただ、ここでいう「正しさ」は、世間的な道徳ではなく、仏教が説く「正しさ」、つまり「偏った両辺の見方を離れよ、それは執着のもとで、苦しみのもとですよ」という立場にそった「正しさ」かなと思うんだ。
「八正道」は、快楽を求めるでもなく、かといって偏った苦行を勧めるでもない、極端な偏りを離れた行法とされるから「中道(ちゅうどう)」とも呼ばれていてね。
そういった意味でも、とらわれない。人は極端に走りがちで、そのために苦しむけど、何ごとにも偏らない、そういった「正しい」ものごとの見方や思考法、努力をしなさい。そうすることが、苦を離れる覚りの道ですよと、ここではそう示しているのかなと思うんだ。
なるほど。。。ただ、なんだか、あまり修行っぽくないのも入っているよね?
③「正語」④「正業」⑤「正命」なんかは特に。
「悪口を言わない」や、「人を傷つけない、盗まない」「規則正しい生活をしなさい」って、普段の生活の注意みたいだゾウ?
いいことに気付いたね。
実際にそのとおりで、「行」は普段の生活の上での習慣とも、密接な繋がりがあると説かれるんだ。
後半に続くよ。
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<よければこちらも!補足コーナー>
今回お話しした「四諦」の3番目にあたる「滅諦」。この「滅」は、「ニローダ」という原語の漢訳です。この「滅」という言葉は、そのまま受け取ると、人間の煩悩全てがきれいさっぱり無くなるのだと解されがちですが、それでは人間存在が成り立たないように思います。
原語の「ニローダ」の本来の意味は「(内部に)止める」「抑制する」です。確かに、伝統的には煩悩の「滅」と訳されますが、ここでは煩悩を「コントロールする」「意思の統制下におく」というほどの理解におさめておく方が、適当なのかもしれません。