【前話のまとめ】
○前回のテーマ
「お経ってなんだゾウ?」
・お経はインドのお釈迦さまが約2500年ほど前に説かれた教えを弟子たちが伝え残したもの。
・お経は中国にわたり漢訳され、その後に日本に伝わった。だから私たちが目を通すお経の殆どは漢文。
・人それぞれの個性に合わせ教えを説くというお釈迦さまの姿勢は、たくさんのお経が現存する一つの要因になっている。
・たくさんのお経があるといっても、その全ては「私たちが仏に成ること」を目的としたもの。
⇒仏に成るってなんだろう?←今回はここじゃゾウ。
第二話 「仏に成るってなんだゾウ?(前編)」
注目ワード 「自業自得」「六道輪廻」「解脱」
むむむ。お経が元々お釈迦(しゃか)さまが説かれた教えで、その全てが「仏に成ること(成仏)」を目標としているってことは分かったゾウ。。。でも、、、そもそも「仏に成る」って何??
そうだね。以外と皆漠然としたイメージしか持っていないかもしれないね。
そうなんだよ。よく亡くなった人のことを「ほとけさん」っていうよね?
「仏に成る」って死ぬっていうこと??
ドラマで刑事さんがよくそう言ってるよね(笑)他にはどんなイメージをもってる?
ん~、身体の悪いところが治ったりとか、何かすごいことが出来る様になるとか??超能力や霊能力?みたいな。。
「きてます。きてます。。」とか。。。
最後のはちょっと違う気がするけど(-_-;)
なるほど。今回もいっしょに考えてみよう!
まず「仏(ほとけ)」だけど、これは元々インドのお経に使われる「ブッダ」という言葉が語源でね。訳すと「目覚めたもの」。仏法の真理に目覚めた者という意味だね。「死んだ人」を意味する言葉じゃないよ!
お経には、「仏(ブッダ)」と成った者は苦しみから解放されると説かれているんだ。
それが仏教の根本的な目的だね。
苦しみからの解放?
とっても楽しくなるってことかな!?
それを説明するには、まず仏教の世界観を話さないといけないね。
お釈迦さまはお経の中で、命ある者の世界は苦しみの連続であり、しかもそれは生まれ変わり死に変わりを繰返し絶え間ないと説かれるんだ。「六道輪廻(ろくどうりんね)」っていうんだけどね。
ろくどう?6つってこと??
そう。次の様な六つの境涯をぐるぐる生まれ変わるとされるんだ。
「自業自得(じごうじとく)」っていう仏教語があるけど、善い行為をした者は天界や人間界等に、悪い行為をした者は地獄・餓鬼・畜生等の世界に生まれると説かれているんだ。
<六道輪廻>
①地獄(じごく)・・・六趣の中で最も苦しみの多い生存・世界。様々な責め苦を受ける。
②餓鬼(がき)・・・常に飢餓に苦しむ満たされない存在。
③畜生(ちくしょう)・・・鳥獣虫魚などの畜養される存在。
④修羅(しゅら)・・・絶えず対立し闘争してやまない存在。
⑤人間(にんげん)・・・私達人間としての生存。仏道を歩むのに最も適した世界。
⑥天(てん)・・・六趣の中で最も楽の多い神々の生存・世界。
地獄コワい。。。天界に生まれたいゾウ{{ (>_<) }}
そうだよね(笑)。ただ仏教の面白いところは、楽に満たされたその天界でさえも、抜け出すべき迷いの生存、苦しみの世界とされていることなんだ。
「仏」は、この六つの境涯の輪廻の輪から抜け出した者であり、このことを「解脱(げだつ)」というんだよ。
ぞぞぞう!?天界も苦しみの世界??神さまも暮らしてるすごい幸せそうなところなのに!!
不思議に思うよね。少し休憩して、次回そのことについて一緒に考えてみよう。
←第一話「お経ってなんだゾウ?」に戻る
→第三話「仏に成るってなんだゾウ?(後編)」に進む
<よければこちらも!補足コーナー>
「輪廻」や「生まれ変わり」と聞くと、現代に生きる私達には縁遠いものと感じ、拒絶反応を示す方もいるかもしれません。その気持ちも分かるのですが、そこにとらわれすぎると、仏教で本当に伝えたいことは何なのかという点から離れていく気がします。
一見何ら不足のない、あらゆる望みが叶う環境である天界と、最も厳しい環境であるはずの地獄が、迷いの世界として、また抜け出すべき世界として、ある種同列に置かれているということは、輪廻思想を考える上においてとても重要なポイントだと思います。「苦悩から解放され仏に成る」とは、単純に自分の欲する願いを叶えるといった類のものではないのです。
輪廻思想に示される様な苦楽。そこを超えて仏と成るとはどういうことなのか。次回は、この事についてきくぞう君と考えてみたいと思います。
※本コーナー中の六道絵は成田山東京別院深川不動堂のホームページ掲載のものを引用させていただきました。