
【前話のまとめ】
○前回のテーマ
「訳経僧の活躍を知りたいゾウ!(南北朝時代編)」
・時代の傾向
北朝は鮮卑族、南朝は漢民族の争いの中で王朝が変わり、最終的には北朝の隋が南北を統一。
・仏教の傾向
〔北朝〕
実践的仏教が発展、国家宗教、二度の廃仏政策
〔南朝〕
仏教の教理研究が発展、貴族文化の中での仏教、道教との論争
【南北朝時代の訳経僧・渡来僧】 ※赤が北朝、青が南朝
・慧厳(えごん)
南朝の宋にて活躍した僧侶。鳩摩羅什に師事。慧観等と共に東晋・十六国時代に訳された『泥洹経(法顕本)』六巻(法顕・仏駄跋陀羅訳)と『大般涅槃経(北本)』四十巻(曇無讖訳)を比較統合し三十六巻の『大般涅槃経(南本)』として再編。
・慧観(えかん)
南朝の宋にて活躍した僧侶。鳩摩羅什、廬山の慧遠に師事。慧厳等と共に三十六巻の『大般涅槃経(南本)』を編集。最初の教相判釈「二教五時の教判」を立てる。
・求那跋陀羅(ぐなばっだら)
中インド出身。宋の建康に来朝。『雑阿含経』五十巻『勝鬘経(しょうまんぎょう)』一巻『楞伽経(りょうがきょう)』四巻『相続解脱経』二巻などを翻訳。
・菩提流支(ぼだいるし)
北インド出身。北魏の洛陽に来朝。『金剛般若経』や『不増不減経』といった如来蔵経典、『入楞迦経(ニュウロウガキョウ)』『深密解脱経(ジンミツゲダツキョウ)』など唯識系の経典、『十地経論(ジッチキョウロン)』『金剛般若経論』『法華経論』『無量寿経論(浄土論)』など世親の論書を多く翻訳。
・勒那摩提(ろくなまだい)
中インド出身。北魏の洛陽に来朝。『十地経論』を↑菩提流支と共訳したとされる。
・真諦(しんたい)
西インド出身。梁の建康に来朝。四大訳経僧の一人。無著の『摂大乗論』とその注釈である世親の『摂大乗論釈』の翻訳。アビダルマ論書『倶舎論』の翻訳。『大乗起信論』の翻訳。
⇒南北朝時代に成立した学派について知りたい←今回はここじゃゾウ。
第二十五話「学派を知りたいゾウ!(南北朝時代編)」
注目ワード 「中国仏教」「訳経僧」「南北朝時代」「学派」

今回からは南北朝時代に成立した「学派」の話だったね。
実はあまりピンときていなくて、「天台宗」や「禅宗」みたいな「宗派」とは違うものなの?

いい質問だね。
実は「学派」も「宗」と呼ばれることもあってややこしいんだけど、私たちのイメージする○○宗とは異なったもの
学派(宗)の興隆
成実学派
三論学派
涅槃学派
地論学派
摂論学派
四分律宗
禅と浄土教

さて、今回はここまで。
次回は中国で最も仏教が興隆した時代。
隋代と唐代の仏教について。
一緒に考えてみよう。

ついに、あのスーパー有名な三蔵法師が出てくる時代だね!
了解だゾウ!!
←第二十四話「訳経僧の活躍を知りたいゾウ!(南北朝時代編)」に戻る
→第二十六話「訳経僧の活躍を知りたいゾウ!(隋~唐代編)」に進む
<よければこちらも!補足コーナー>
・教相判釈(隋代の天台智顗のもの)
※↓次回
・学派の興隆
・宗派の興隆
その時代その時代の仏教の勢力図。寺院数や信仰者数など。
P2~7
・仏教伝搬と仏像(仏像 紀元前1世紀末から紀元後一世紀末にかけてガンダーラ或いはマトゥラーにおいて成立?)
P8~10
○仏教移入について
キーパーソン
↓史実しては不確か
後漢の明帝(位57-75)が天竺より摂摩騰と竺法蘭を招請し、二人は『四十二章経』を携え白馬に乗って洛陽に来たというもの。『高僧伝』「白馬寺伝説」より。
他、劉英、伊存、張けん
↓史実として語られる『高僧伝』より
<後漢末>
安世高あんせいこう
支婁迦讖しるかせん(147?~186?)→般若経などの大乗仏教を翻訳。中国に初めて大乗仏教を広めた人?
竺仏朔じくぶっさく
安玄あんげん
厳仏調ごんぶっちょう(中国人初の出家者)
<三国時代>
~
<西晋・東晋時代>
~
・格義仏教
老荘思想を媒介として「空」思想を理解
釋道安(314-385)→仏教の教義は仏教経典によってのみ理解すべきと主張→各義仏教を否定→中国仏教の方向性が変更
鳩摩羅什 偉大な翻訳家であると同時に偉大な教育者。優秀な弟子多数。中国仏教発展に大きく寄与。
仏駄バサラ(359-429) 『華厳経』の翻訳
曇無シン(ドンムシン)(385-433) 『涅槃経』を翻訳
四大翻訳家
廃仏
国家宗教としての仏教
涅槃学派 慧観
五時教判 涅槃経こそ究極の教え
禅や浄土教(曇鸞476-542?往生論註)
隋代(6世紀~)より国による仏教保護が進む
三論宗 吉蔵 空
天台宗 智顗 五時八教
法相宗 基 唯識。日本でも奈良・平安時代において最大学派の一つ。
浄土教 末法思想。北周の武帝による破仏などもあり実感。時期相応の仏教として勃興。曇鸞、道綽(聖浄二門判)、善導(古今楷定)
華厳宗 法蔵
律宗 仏教伝来とされるBC2世紀から200年以上経過しても未だに中国には正しく戒律を受けた者はいなかった。→249年~253に中国にやってきた曇摩迦羅(どんまから ダルマカーラ)が中国僧たちに戒律を普及。続々と律蔵が翻訳。『十誦律(説一切有部)』『四分律(法蔵部)』『摩か僧ぎ律(大衆部)』『五分律(化地部)』。この4部の「広律」が訳出された5世紀以後に戒律に基づく教団が形成。戒檀(受戒を受ける正式な場。10人の証人が必要)。戒体。
密教
禅宗 菩提達磨 馬祖系の臨済宗、石頭系の曹洞宗へと分流。公案禅、只管打坐と言う形で現在まで継承。
三蔵法師・玄奘(602?-664) 唐代。著作『大唐西域記』玄奘以前を旧訳、以後を新訳と言い讃えられた。
古訳・旧訳・新訳 鳩摩羅什と玄奘という二大翻訳家を中心に形成された視点
中国人が自らインドに赴き、大規模かつ体系的な翻訳を展開したのは玄奘が最初。しかも翻訳を国家事業として組織的に訳文の再検討をした。
僧伝資料 『高僧伝』
儒教 孔子 三コウ(父子・夫婦・君臣)、五常(仁・義・礼・知・信)。仏教と儒教の交渉(お坊さんも学ぶ P111~)。「仏教の出家は家を途絶えさせる」「皇帝に礼拝すべきではないとする僧侶は忠に反する」「僧侶の服装は礼に反する」。「神滅不滅論」。『父母恩重経』
道教 老子 神仙思想。無為自然を中心とする道家思想。呪符。陰陽五行説。巫術。
儒・仏・道は中国の歴代皇帝により優遇される順序が異なり、しばしばその序列次第で弾圧や粛清が執行された(P113~)。
五代十国から宋代にいたると独立した教団は天台宗、華厳宗、禅宗ばかりとなり、他の教学は兼学されることが一般的となった。 
中華人民共和国建国(1949)。マルクス主義「宗教は人民のアヘン」。文化大革命(1966-1977)で多くの寺院や仏像が破壊。
敦煌文献
・中国土壌の思想、儒教や道教と仏教の交渉。各義仏教。「神滅不滅論」。『父母恩重経』。
・中国仏教は翻訳の歴史。四大翻訳家。お経と翻訳家、年代、ルートの情報。古訳・旧訳・新訳 鳩摩羅什と玄奘という二大翻訳家を中心に形成された視点。高僧伝。大唐西域記。
※仏教伝播と仏像の関係はコラムのコーナーに?
日本仏教編に移る前に、復習編として仏教の歴史をチャートにする
石窟寺院(※将来的にはインド中国日本の仏跡コーナーを作ってもいい?)
18話の最後に仏教伝来図を置く?23話の補足に道安の功績や十住毘婆沙論のことを入れる?仏教の受け入れについて超人的理解をされていたことも入れる?お経の訳語に道教的理解。○○時代の仏教というくくりで章立てしたほうがいいかも。自動読み上げ機能、ユーチューブ。
